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** 仏教とは **




達が「仏教」と聞くと、「お葬式」や「法事」など死者を供養するためだけの「仏教」を思い浮かべます。

しかし本来仏教と言うのは、生きている人間の為にある「仏の教え」であって、お釈迦様自体、死後の事は何も語られておらず

『そのように考えても解らない「不可知」な事にあれこれ迷うよりも、今のこの世の中の苦しみを
どうして乗り越えるか考えなさい。』


と言う「現実的」な思考の人であったように思います。

だから、「仏教」とは人生の羅針盤であり、燈台の灯りであり、生きる為の指針であると言えると思います。

決して死者のためにあるのではなく、寧ろ生きている者の為にある教え、それが仏教なのです。


**仏陀誕生以前の古代インド社会**


外来民族アーリア人

アーリア人と言うのは本来西洋人と同じ種族に属する人種で、インドの西北方から次第に進出してきた民族と考えられています。
紀元前六世紀から五世紀になるとガンジス川中流域の諸地域に定住し、その勢力はやがて下流域にまでも達するようになってゆきました。
このアーリア人は「司祭者(バラモン)」を中心とた階級的区別に基づいた農村社会を確立しており、各階級毎に孤立的、閉鎖的な経済生活を営む事で、バラモン教の文化を形成していったと考えられます。
このバラモン教はヴェーダ聖典を奉じ、その規定する祭祀を行って、神々に動植物の犠牲を捧げていました。

やがてこのアーリア人が徐々に原住民と混血してゆき、その中から古来の伝統的な風習や儀礼、信仰に対してすこぶる自由で恣意的な態度を取る者が現れてきました。
民族的にも経済的にも複雑化してきた古代インド社会では、旧来の階級制度も崩壊の危機を迎えるに至り、人々はバラモンに対して昔ほどの尊敬を払わなくなってきました。
そのような混乱期にある時代を背景にして、当時は沢山の思想家が現れてきたものと考えられます。
経典に書かれている「六師外道」と呼ばれる思想家は、その中でも代表的な思想を持った人達で、実際はもっと多くの思想家が跋扈していたと思われます。

このような混乱した時代に、仏陀はこの世に生まれたのです。


**仏陀の生涯**



年代

お釈迦様が生まれ、活動された期間は80年とされていますが、正確な生没年は解っておりません。
一般的には前463年〜前383年説・前566年〜前486年説などがあります。
兎に角、今から約2500年以上も昔に、お釈迦様は生まれ実在された方であることは間違いないようです。



誕生

前463年〜前383年又は、前566年〜前486年と、様々な諸説がありますが、とにかくスッドーダナ王(浄飯王)と妃マーヤ夫人の長男としてシッダッタ(釈尊)はお生まれになりました。
ある日のこと、王は山中に住む名高い占い師アシタ仙人を城へ呼びました。
アシタ仙人は、王子の顔を見て、このまま家におれば理想の王である「転輪聖王:てんりんじょうおう」になられるだろう。。
もし家をでることになれば、ブッダ(真理を悟るもの)になられるだろうと述べたと言われています。


名前

お釈迦様は『ゴータマ・シッダールタあるいはシッダッタ(悉達多)と云う名前で、ゴータマというのは部族の名前、または「性」であったようです。
ゴータマと言うのは「最も良い牛」と言う意味で、古代インドでは優れた性とみなされていました。
更に、シッダッタとはパーリー語で「目的を達成した者」と言う意味で、古来彼の家系は「太陽の末裔」であると称されていました。
後年にはお釈迦様の呼称は沢山あり、「釈尊=世に尊ばれる者」「仏陀=悟りを開いた者」「釈迦牟尼=シャカ族の聖者」など、全て成道後ゴータマ・シッダールタに与えられた呼び名です。



誕生〜出家

お釈迦様は当時のコーサラという大国に属したシャカ族の生まれで、(現中部ネパールのタラーイ盆地南辺に位置するところが、かってシャカ族の中心地であったカピラ城跡と考えられています。)カピラ城主である浄飯王(じょうぼんのう)を父として大切に育てられたのですが、お母さんであるマーヤ夫人(摩耶)が、現在のインド北部ネパール近郊の、ルンビニーという所でお釈迦様を生んだ後間もなく亡くなってしまい、変わってマーヤ夫人の妹が王の後妻となりお釈迦様を養育されたようです。
幼くして実母と死に別れたものの、お釈迦様は王子として大切にされ、何不自由無く生活をされていたそうですが、やがて結婚して子供が出来たある日のこと、『
*四門出遊の出来事により、29歳にして出家を決意され、実行されました。

四門出遊・・・仏陀が出家する以前に、城の東南西北にある四つの門から郊外に出掛けようとされました。
その時丁度それぞれの門の外で老人・病人・死人・出家者に出会い、人間は老い・病・死からは逃れる事ができない事を知り、世の中が自分の思い通りにならない、それが苦しみの根源であると考えられました。
そして心の平安を得る為に、出家者の穏やかな顔貌に惹かれて出家を決意されたと云う説話です。



出家〜成道

その後、当時のバラモン教の修行者に師事して厳しい苦行を繰り返されましたが、肉体が衰弱するばかりで、一向に悟りを得られません。
そこで、肉体を痛めるだけでは悟りに到達する以前に死んでしまうと思ったお釈迦様は、「悟りを得る為には肉体の回復が重要」であると、修行者には禁じられていた乳粥を口にします。
それを見た修行者の仲間達は「彼も堕落した」と思い込み、お釈迦様から離れてゆきました。

肉体を痛めるだけの苦行に見切りをつけたお釈迦様は、一人になりブッダガヤ(仏陀伽耶)という所でひたすら修行をされました。
やがて、お釈迦様が35歳になった年の12月8日、早暁の中で悟りを開かれ、仏陀となられたのです。
然し仏陀は直ぐに法を説く旅に出られたのではありません。
自分が悟った事柄を、他の人々が理解してくれるだろうか、否話を聞いてくれるだろうか、と不安だったのですね。
そんな時、『
*梵天勧請』と云う出来事がありました。
梵天に教えを説くように勧められた仏陀は、先ず苦行を捨てた時に離れて行ってしまった仲間の修行僧達の元へ出掛けました。

梵天勧請・・・梵天がお釈迦様に人々に教えを説くように請うた事を梵天勧請と言う言葉で表している。

ブダガヤからベナレスまで、およそ250キロ以上もの道のりを、仏陀はかっての仲間であった修行僧に逢うために旅に出ました。
心の中の悪魔と神との対話という心理描写で、このお釈迦様が勇んで旅に出たわけでは無いと知る事ができます。
やがてバーラーナシー(ベナレス)の郊外にある「イシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)に着き、修行僧達に逢った仏陀は先ず「私は大いなる悟りを得ることができた。是非話を聞いて貰いたい」と告げました。
苦行を途中で投げ出し、禁じられてる乳粥を口にしたような堕落した者が悟りを得るなんてとんでもない!と思ったのでしょう。
修行者は仏陀の話を聞こうともしないのです。
二度、三度の仏陀の願いを退け、強硬に教えを拒む修行僧達に、仏陀はこういいました。
私のこの顔を見るが良い。
諸君はかっての私の顔貌が、このように輝いているのを見たことがあるだろうか

大いなる所と、それに伴う自信に満ち溢れて輝いている仏陀の顔を見て、修行者達はかって「失望と唾棄」をもって軽蔑した男が、仏陀となって目前に現れた事を驚きをもって受け止める事となりました。
仏陀はこの鹿野苑において、かっての仲間であった修行者五人を前に、初めて法をとかれたのです。
これを、「初転法輪:しょてんほうりん」と、仏教界では呼んでいます。

最後の説法

お釈迦様は最晩年、マカダ国の王舎城を起ち、ガンジス川を渡って、マッラ国のクシナーラ(クシナガヤ)に至ります。
このクシナーラーの沙羅の並木の下にて「ポンコツ車のように革紐に助けられて動いている」身体を漸く横たえました。
頭を北向きにし、右脇を下に足の上に足を重ねて横たわられた仏陀は、それからも尚説法を続けられました。
そのお姿は、当時の弟子達にとっては忘れがたい尊いお姿として今の世までも伝えられています。
それが涅槃像ですね。
そして、その沙羅双樹の間で、仏陀は80年の生涯を終えられました。



仏陀の最後の旅はこちら▼
  大般涅槃経・・・ 【大いなる涅槃への旅立ち】 和訳でご紹介しています。


釈迦と教団
釈迦の教団はサンガ(僧伽)と呼ばれ、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆をメンバーとした。
その中心は比丘たちであった。
中でも十大弟子と呼ばれる弟子達が諸経典に登場する。


十大弟子
舎利弗(しゃりほつ) :シャーリープトラ。 舎利子ともいう。バラモンの出身で始めは懐疑論者サンジャヤの門に入り、その弟子を多く引き連れて釈迦の僧団に加わる。 教義に優れて智慧第一とされる。

目連(もくれん)  :目ノ連(もくけんれん)マウドゥガリヤーヤナ。舎利弗と共に釈迦の僧団に加わる。修行をよくし、神通力にすぐれ、神通第一とされる。

迦葉(かしょう)  :カーシャパ。 摩訶迦葉(まかかしょう)と呼ばれることが多い。 教団の最長老で、釈迦の滅後、教えの編集(仏典結集)の中心人物となった。少欲知足に徹して、頭陀(清貧の修行)第一とされる。

須菩提(すぼだい)  :スプーティ。徹底して争いを避けた非暴力主義者であったと言う。 多くの人に敬いを受け、供養第一とされる。

富楼那(ふるな)  :富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) プールナマイトラーヤニープトラ。 宣教にすぐれて説法第一とされる。
 
迦旃延(かせんねん)  :カーティヤーヤナ。 とくにカースト否定の平等を説いたと言う。 教えの解説にすぐれて論議第一とされる。

阿那律(あなりつ)  :アヌルッダ。 シャカ族の出身で、釈迦のいとこ。 失明するが天眼を得て天眼第一とされる。

優波離(うばり) :ウパーリ。 仏典結集のおり、戒律の編集の中心になったという。 戒律をよく守り、持律第一とされる。

羅喉羅(らごら)  :ラーフラ。 釈迦の実子。 修行において不言実行をなし、密行第一とされる。

阿難(あなん)  :アーナンダ。 シャカ族の出身で、釈迦のいとこ。 釈迦の身近に二十五年間仕え、多聞第一とされる。

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