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 バラモンとシュラマナ達

新開拓地である中インドでは食料が豊富で、多くの遊牧民や出家者を養う事が可能で あったようです。
特に、真理を求めて家を捨て宗教の世界に入った遊行者は、一切の生産活動を自らに 禁じて「真理探究」のみに専念しょうとしました。
したがって、彼等は生活の維持を在家者の布施のみに依存する「乞食生活(こつじき せいかつ)」を送りました。
当時(前六〜五世紀頃)の宗教家は、バラモンとシュラマナ(沙門)に大別する事が できます。

バラモンは、既に述べたように祭祀を司る事を職業とする僧侶で、ヴェーダ聖典に基 づく宗教を信奉していました。
祭祀を司ると同時に、宇宙原理の「ブラフマン=梵」と個人に内在する原理の「アー トマン=我・霊魂」とは、本来一体であると言う「梵我一如(ぼんがいちじょ)」の
哲学に心をひそめ、永遠の真理・不滅の原理を体験しょうとしていました。

彼等はこの体験を得る為に「四住期(しじゅうき)」と言って、学生期・家住期・林 住期・遊行期と言う四つの時期に分けて生涯を送る予定を立てたのです。
学生期と言うのは、文字通り学問を学ぶ時期で、ある古老のバラモンのもとに師事 し、その師の身の回りの世話をしながらヴェーダ聖典を学びます。
大体七〜八才頃から十代半ばまで修学したあと、親元に戻り家業などの手伝いをしな がらヴェーダ聖典にもとづく祭祀を日々欠かすことなく行う生活を送ります。
その後、結婚し男の子をもうければ、彼は後継者を得た事をもって、かって学んだ宇 宙の不滅原理を自らの体験を通して確かめる為に、出家を考えるようになります。
留守家族が、自分の出家後も経済的に暮らしてゆける見通しがつくと、彼は出家し森 林に居住して修行に明け暮れる生活を送るのです。
この林住期において、梵我一如の真理に目覚め体験を得たバラモンは、その真理と体 験をもとに説法に旅立つのです。(遊行期)
この教えは限られた者だけに伝えられる秘奥の教えと言われ、やがて彼は遊行の果て に死んでゆくのです。

このように、悟りを開いたバラモンは、死を契機に最高原理であるブラフマンに帰 し、それに抱かれて永遠の安らぎを得、再びこの世界に再生しない事を究極の目的と しています。
これは、次ぎに述べるシュラマナ(沙門」の場合も同じです。

バラモンに対するもう一つの宗教家群に、シュラマナがあります。
それまでのバラモン教が、祭祀の絶対励行・生まれによる階級制度の尊重を進めてき たのに反対して現れた宗教家達であり、思想家達でありました。
彼等は都市を中心にして王族や富豪達を狙い、政治的・経済的な援助を受けていたと 思われます。
粗衣をまとい、裸足で布施によって生活を送る「乞食生活」を送りました。
彼等の中には王位を追われた者や逃亡した奴隷、借金を踏み倒して逃げてきた者、賤民や破産した者など、様々な人がいたようです。

シュラマナとなってからも、好んで孤独に暮らした者や終生一人の師に仕えた者など、その生活は一様ではありませんでした。
しかし大別すれば、放浪して乞食と教授の生活をする者と、森林に居住して自己研修と教授生活を送る者とがありました。

やがて彼等の中には独創的な思想の持ち主として、多くの門下生を連れた人も現れ、 そのような人達を「仲間を連れた人。」とか「群れをなす人。」と呼ぶ事もあったよ うです。
シュラマナが新しいタイプの思想家であることから、彼等を「自由思想家」と呼ぶ学
者もいます。
このような思想家が、前六〜三世紀頃には洋の東西で多く出現しています。
ギリシャではプロタゴラスなど、中国では孔子・老子・孟子などの人物が有名です。


シュラマナは「真理を求めて努力する人」「遍歴する苦行者」あるいは「道の人」と
言う意味があり、「沙門」と言う訳語は、サンスクリット語の「シュラマナ」、ある いはパーリー語の「サマナ」の発音をそのまま取り入れたものです。
彼等シュラマナは、世論の指導者であり、新しい思考方法と行動様式を持ち、人々の 尊敬と信頼を得ていたものと思われます。
反面、彼等は既成宗教の伝統を軽視又は、否定したために異端説として決めつけられ た事も否めません。

シュラマナ達の学説は数多く、解っているだけでも六十二種類あったと伝えられてい ます。
今日現在その中で有名なものは六種で、仏教文献の中では「六師外道」と呼ばれてい ます。
外道と言うのはインド原語で「ティールタカラ」と言い、津を作る人(渡し場や港を 作る人)と言う意味があります。
これが宗教的な用語となり「人々(信者)の集まるところ・群れを率いて説法をする ところを作るひと」あるいは「聖なる場所を作る人」と言う意味に転化してきたよう です。
一般的には「宗教改革者」「宗祖」と言う意味で、六師外道と言うのは「六人の宗教
改革者」と理解すると良いでしょう。

因果応報の思想は、古代インド人の信仰に深く根ざしておりました。
バラモンは、祭祀儀式を司る事によって人々の願いは叶えられるのであって、この儀 式を行う事が即ち善行と考えておりました。
要するに、司祭の業が善因であり、それは「生天(しょうてん=天に生まれる)」と 言う楽果をもたらすと言う、因果関係の思想が徐々に形成され、因果業報(いんが ごっぽう)の思想が前九世紀頃のヴェーダ聖典の文献の中に現れてきました。
この業を生み出したバラモン教の司祭の行為(業の観念)を、頭から軽蔑し、無意味 なものとして否定したのが、シュラマナ達でありました。
シュラマナ達の思想には神の観念がなく、神を持たない宗教であり、哲学だったので す。
だから、彼等にとって「神々を祭る祭祀儀式」は、全くもって無意味であったので す。
シュラマナ達の考える「業」とは、司祭が行う行為ではなく、人間の日々の生活行為 を意味するものであったのです。
善因とは、人の道に則った行為そのものを善業とし、それが善因となって、報いとし て楽果をもたらすと言う考え方でした。
その報いは神から受ける報いではなく、神の判断やはからいから受ける報いではない と言う、「神の介在しない業報思想」だったのです。

そして、シュラマナ達にはもうひとつ、「現実的・感覚的・唯物的」な思想を立てた と言う特徴があります。
彼等はそれまでの形而上学的思想に対して、地に足をついたところから、今あるもの を材料として人間の抱える問題を解決しょうと考えたわけなのです。
こうして、バラモンとシュラマナ達の思想は真っ向から対立する結果になってきまし た。
このシュラマナ達の一人として、お釈迦様はいらっしゃいました。
シュラマナの一人としてのお釈迦様の立場を抜きにして、仏教の出自は語れないと同 時に、この立場こそが「仏教の性格」と捉えられるのです。

同じシュラマナの仲間にも沢山の考え方があり、一説には「六十二種」の考え方が あったようです。
その中でも有名なのが、先に述べた「六師外道」と言う六人のシュラマナ達の思想で した。
来世は無いと説くアジタ来世はあると考えるパクダ生死の繰り返しで救われると 説くゴーサーラ 真実の実践の為には、形而上学的問題に関する事は何等役に立たないと考えたサン ジャヤ善悪の業報などあり得ないと言うプーラナ・見方を変えれば、苦も楽になる と説いたニガンタ。
この六人の考え方を見ても、当時の思想において非情に混乱していた事が伺われま す。
これら六人のシュラマナ(自由思想家)達は、新興都市を中心に、王侯・貴族・富豪
の政治的、経済的援助を受け、沢山の衆徒を率いて活発な活動を展開しておりまし た。




お釈迦様の立場

お釈迦様は臨終の際に、最後の弟子であるスパッダにこう言いました。
スパッダ、私は29才で善を求めて出家した。」と。
この言葉は、お釈迦様の正直な心の吐露であったように思います。
この「善」とは、パーリー語で「クサラ」と言い、正しい、利益になる、公正な、適 当な、等の意味を持つ言葉です。
お釈迦様が求めたもの、それは「人々の利益になり、公正なそして、道理に適った」 ものだと考えられるのです。
それは、時代や国、地位や貧富のような一切のものを越えた「真理の教え」なのです ね。
だから、現代の日本においても「意義ある教え」だと思っています。

お釈迦様が現れた当時では、六師外道等による破壊的、退廃的な思想が蔓延しており ました。
それらに対して、お釈迦様がとられた立場と言うのは「否定」であっても「全否定」 ではなく、極端な思想否定されたものであると思いす。
その証拠に、後の説法の中には「六師外道」の思想も見受けられます。
修行の方法に対しても、ヨーガ禅やタパス(苦行)を真っ向から否定されるのではな く、それらを上手に取り入れていらっしゃるのですね。

中阿含経(大正蔵一巻七七六頁中〜下)には、善を求めてお釈迦様が先ず訪ねられました仙人は、「アーラーラ仙人」であると書かれています。
彼はヨーガ禅により「無所有処(むしょうじょ)=何も無い境地。無の境地」の境地 を得ていると言いました。
次ぎに訪ねた「ウッダカ仙人」は、「非想非非想処(ひそうひひそうじょ)=表象意 識があるでもなく、ないでもないと言う境地」の境地を得ていると言いました。
お釈迦様は、この二人の仙人に従って、教えられた通りに修行しそれらの境地を体得する事ができましたが、「この教えは厭離(えんり)に向かわず、止滅に向か わず、平安に向かわず、英知に向かわず、正覚に向かわず、安らぎに向かわない。
ただ、無所有処を得るだけである。したがって私はその教えを尊重せず、その教えに満 足しなかったので、去った。
」と仰っています。
つまり、お釈迦様が目指しているものは、ヨーガ禅のみでは得る事ができないと考え られたのです。
しかし、これらの教えを捨てたのではなく、最初期の仏教文献には「かれは世間にお いて(わがもの)という所有がない。また無所有を嘆くこともない。かれは(欲望に 促されて)諸々の事物に赴くこともない。かれは実に(平安なるもの)と呼ばれ る。」『スッタニパータ第861』と言う詩偈や、『師(仏陀)は言われた、「ウパ シーヴァよ、よく気をつけて無所有を目指しつつ、(何も存在しない)と思う事に よって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を 昼夜に観ぜよ。」スッタニパータ第1070』と、「世間において所有がない」「無 所有を嘆くこともない」 或いは、 「無所有をめざしつつ』と言う言葉が多く見られるように、 全てを否定して捨てたのではない事が解ります。

タパス(苦行)に関して、中部経典には次ぎのような記述が見られます。
 魚、肉を食せず、穀酒、果実酒、粥汁を飲まない。1日に一食、2日に一食・・・ 7日に一食することがあった。
 あるいは、半月に一食をとるまでに定期的食事の修行をした。
 野菜だけ、黍だけ、生米だけ、米汁のうきかすだけ、胡麻の粉だけ、草だけ、牛糞 だけを食する生活をした。
 樹の根や果実を食したり、落ちた果実を拾って食して暮らした。
 裸で過ごしたことがある。麻で織ったもの、墓場に捨てられた死体を包んだ布、道
に捨てられたボロ切れ、樹皮、毛髪で編んだもの、馬の尻尾で編んだものを着てい
た。
 いつも直立していることもあった。うずくまった状態を続けたこともあった。棘の 上に伏すこともあった。1日に3度沐浴することもあった。
 また、墓場において骸骨を敷いて寝床にした。その時に子供達が来て、唾し、放尿 し、ゴミをまき散らかし、耳に木の枝を差し入れる悪戯をした。しかし、それに対し て悪心を抱かず、平静を保つ行に徹した。

ここに紹介しているのはごく一部なのですが、これだけでも修行中のお釈迦様の「衣 食 住」が解り、想像を絶するような修行をされていた事が伺えます。

このような苦行を経験して、お釈迦様が悟られたのは「六年間、タパスを行ったが、 それは丁度空中に結び目を作ろうとするような年月であった。」と言う事でした。
このようにして、お釈迦様は「ヨーガ禅」からも「タパス」からも離れて、乳粥に よって回復した身体をもって、独り修行の旅に出られたのです。

やがてお釈迦様は、ネーランジャラー川に沿ってあるサーラ樹林の中の一本の大木 のもとに向かったと言います。
その大木は、いわゆる「菩提樹」で、お釈迦様がこの樹の下で悟り(菩提)に達した
故事に基づく呼び名だと言います。
ジャータカと言う仏典によると、お釈迦様は菩提樹の幹を背にして東に向かい、「皮 や筋や骨は干からびるがいい。体の肉や血は干からびるがいい。それでも正しい悟り を得るまでは、この組み合わせた両脚を解くことはしまい。」と堅固な決心をされた そうです。

では、お釈迦様が求めている「善」「正しい覚り」とはどのようなものであったか、 と言う事を考えてみましょう。
先の苦行の最中に悪魔のナムチがやって来て、このままでは生きられる見込みは千に 一つの割合だから、今すぐに修行を止めて生きた方が良い、と囁きかけました。
これに対してお釈迦様は「私には正しい道理を信じる心があり、努力があり、又智慧 がある。(スッタニパータ第432」と言って退けています。
そして、この言葉の後には「血も枯れ、胆汁も痰も枯れ、肉が落ちても、全身心を集 中していると、心が澄んで、心が統一してくる。」「だから苦行によって苦痛を受け ても、心に一切の欲がなくなって、身心への執着も、命への執着も消え、身心は清浄になっている」と言っています。



縁起のダルマ
では、お釈迦様が悟られたダルマとは、具体的にはどのような事なのかを見てゆきたいと思います。

増支部経典始め、多くの仏典では、お釈迦様が「アシヴァッタ樹の根本で正覚した。」と伝えています。
正覚(しょうがく)とは、原語のひとつでは「アビサンボーディ(パーリー語)」と言って「ダルマ(法)について十分に知り尽くした境地、あるいはダルマが現前する境地に達した事を言います。
これまでに述べてきた「善なるもの・正しい覚り」と言うのが、これにあたります。

この正しい悟りを得たお釈迦様は、以後「ブッダ(buddha)=目覚めた人」と呼ばれ、ダルマを熟知した人は誰でも「ブッダ」と呼ばれたので、お釈迦様の事を「ゴータマ・ブッダ」と呼ぶ人もいます。
お釈迦様が悟られたのは、一体どのようなダルマであったのか、又、どのような状況で悟られたのかが、「律蔵」「ウダーナ」などに書かれていますので、その時の模様を仏典から抜粋致します。

ウルヴェーラ村のネーランジャラー川の岸辺にある菩提樹の下にゴータマ・ブッダはいた。
そこで始めて正覚を得た。
その時、七日の間ひたすら足を組んでいて、解脱の楽しみを受けて座っていた。
七日が過ぎてから、彼は縁起のダルマを「順の関係によって」考えた。
「これがあるときに、かれがある。これが生起するからかれが生起する。」と。
この意味をよく知ってから、彼は次のような詩偈を唱えた。

 努力して考えているバラモンに
 諸々のダンマが現れるならば、
 彼の全ての疑惑は消える。
 原因のダンマをはっきりと知っているから。


ここで言うバラモンとは、優れた修行者と言う意味で、お釈迦様自身をも指している言葉です。
詩偈に引用した「ダンマ」とはパーリー語で、「ダルマ」と同じ意味です。
ものは原因とそれに付随する条件とがすべて相関して相乗し、複合し、そして融合して生起するダルマである。
これを知ったから、生まれ、老い、病み、そして死ぬなどの苦しみが何故避けられないのか、と言う疑惑が晴れたと、詩偈では言っています。
更に彼は縁起のダルマを「逆の関係によって」考えました。
これがない時にかれがない。これが滅するから、かれが滅する。
この意味をよく知ってから、彼は次のような詩偈を唱えました。

 努力しているバラモンに
 諸々のダンマが現れるならば、
 彼のすべての疑惑は消える。
 種々の条件(縁)のダンマをはっきりと知ったからだ。


全てのものは、ある原因と条件が無くなると、その原因と条件によって次第に結果したものが滅すると言う道理。
すなわち、ものが縁滅している事を熟知して、一切の疑惑が晴れたと述べています。

すべてのものは神や創造主によって作られ、生成し、存在し、そして消滅すると言う既存の宗教に対して、お釈迦様は『すべてのものはみな原因(因)と種々の条件(縁)が相乗し、複合し、そして融合して生起し、そして消滅していると言う「因縁関係(因果関係ではない)」のダルマであると、悟られたのです。

お釈迦様は、何事も「極端にはしらない」と言う「中庸」の立場の中で、このダルマを悟りました。
だから、その後の説法の中にも「苦行」「瞑想」などを否定する考えは持たれていなかったと感じます。

それと、もうひとつ注目しなくてはいけない事は、当時の「すべては神や創造主によって造られ生成し、存在し、そして消滅する」と言う信仰に対して、「すべてのものはみな原因(因)と種々の条件(縁)が相乗し、複合し、そして融合して生起し、そして消滅している因縁関係(因果関係ではない)のダルマである点です。
これは当時としてはとても画期的な思想であったと思われます。
この「縁起のダルマ」は、どんな時代でも、どんな文明社会においても通用するダルマであって、すべての宗教とも科学とも対立することのない、お釈迦様が言うところの「善なるもの・正しい覚り」の本質そのものであり、これこそが、彼が求めていたもの、かの仙人達が知り得なかったダルマなのです。
勿論、ヨーガや苦行も抜きにしてはこのダルマに辿り着けなかったのではないでしょうか。



 八正道 その1

ブッダとなられたお釈迦様は、人生は決して楽しい事で満ちているものとは考えませんでした。
反対に、苦しみで満ちているからこそ、縁起のダルマによってその苦しみから抜け出す方法を、真剣に考えられたのだと思います。

 修行者たち、出家した者が行ってはならない二つの極端がある。
 その二つとは何か。
 一、さまざまな欲が起こった時に、欲の快楽に耽ることである。
 それは下劣で野卑で、愚かな行いであり、高尚でなく、自分のためにならない。

 二、自ら苦しめることである。
 これは苦しみであり、高尚でなく、自分のためにならない。
 
 如来は、この両極端に近づかず、中道によってダルマを説いた。  
             転法輪経(相応部経典 第5巻 『律蔵』大品)


これは、お釈迦様が仏陀と成られて、始めて教えを説かれた(初転法輪)時の言葉と言われています。
教えを説いた相手は、かってお釈迦様が苦行を共にした五人の仲間です。
苦行に堪えられなくなって逃げたと思っていた修行者達。
自分を軽蔑しているであろうこの修行者達を、お釈迦様は最初の説法をする相手に選んだのですね。
「きっと彼等こそ、理解して貰えるだろう。」と言う強い思いがあったのではないでしょうか。

ここでは「修行者たち」と言う言葉から始まっていますが、八正道の基本思想である「中道」は、出家者だけに説かれたものではありません。
人の生き方や考え方の全てに適用される教えなのです。
俗に「程々にしろ」「いい加減にしろ」と言う言葉がありますが、いずれも、極端に偏らないようにと戒めた言葉です。
一方に偏らない柔軟な考え方をする、あるいは表明する事が「中道」のダルマなのです。
「中道」の教えとは、縁起のダルマが展開する世間において、如何に生きれば良いかを教える実践のダルマなのですね。

その実践すべき事柄とは、八つの正しい道として説明されています。
1,正しい見解
2,正しい思惟
3,正しい言葉
4,正しい行い
5,正しい生活
6,正しい努力
7,正しい念い(思い)
8,正しい瞑想

更に、これら八つの正しい道は、何故行わなければならないかを説明するために「四つの真理(四諦)」を説かれました。

このように体系的に纏められたのは、お釈迦様が入滅されて以後の事であったと思われますが、「中道」の生き方や、「四つの真理」の趣旨である「縁起のダルマ」については、最初期から説かれていたであろうと考えられます。

漢訳された仏典に見られる「道」には、悟りを表す道、通行する道、赴く道、そして歩みの四通りあることが解ります。
例えば、道心の道は「ボーディ(覚り)」で、仏道の道は「ヤーナ(道、乗り物)」の意味です。
又、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の道は「ガティ(流転して赴く世界)」と言う意味があり、八正道で言うところの道とは、「マールガ(けもの道、道路)」と言う意味があります。
漢訳で同じ「道」と訳されたものでも、原語を辿ればこれだけ意味が違ってくるのですね。
中道をサンスクリット語で見れば「マドゥヤマー(適正な、中正な)・プラティパド(行い)」と言う意味になります。
先ほど出た「いい加減にしろ」と言う言葉の「加減」とは、加えたり減らしたりして「あるべき状態に適う」事を指します。
真ん中が「中道」では決してありません。
バランスがとれて、最高の良い状態の事を言うのです。

収入が多いのに、わざと貧弱な生き方をしたり、収入が少ないのに見栄を張り贅沢な生き方をする。
これらは、収入と生き方のバランスがとれていません。
自分の収入に相応しい生き方をする、これが中道の生き方なのですね。

お釈迦様は、八正道と言う道は自分が造った道ではないと仰っています。
古人が通ったらしい足跡がある道を発見し、それを辿って行った結果、八正道を知ったと言う事で、この足跡が残っている道はパーリー語で「マッガ(サンスクリット語ではマールガ)」と言い、一般には「道」と言う意味で使われています。
けれど、マッガは実は「ミガ(鹿、野獣)」から派生した語で、マッガは獣が通った足跡のある道が元の意味であったようです。
つまり、「けもの道」なのですね。
けもの道と言うのは、決して目立った整備されている道ではなく、「見る人が見なければ解らない道」と言う事なのです。
ヨーガを修め、タパスを修め、諸々の修行を修めて来られたお釈迦様だからこそ、見つける事ができた「けもの道」。
それが、八つの正しい道なのです。

次回は「八正道」に関してもう少し詳しくお話致しますね。




 八正道 その2
お釈迦様は、「法句経」の第20章「道」で、あらゆる道の中で八正道が一番優れていると述べられています。

 これこそ道である。(真理を)見るはたらきを清めるためには、この他に道はない。
 汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。
 
 汝らがこの道を行くならば、苦しみをなくすことができるであろう。
 (棘が肉に刺さったので)矢を抜いて癒やす方法を知って、わたくしは汝らにこの道を説いたのだ。

               中村元訳『真理のことば』岩波文庫、第274〜275偈


お釈迦様は覚りに達した後、始めてサールナートでかっての五人の修行者に対して中道と八正道を説いたと思われます。
転法輪経には次のような言葉が書かれていますので、ご紹介致します。

 ベナレスの鹿野園(ろくやおん)で、五人の修行者に告げた。
 出家者が行ってはならないことに二つの極端がある。
 そのひとつは、欲のおもむくままに快楽に耽ることである。
 それは下劣で野卑で、ためにならないことである。
 
 もうひとつは自ら苦しめることである。
 それは苦しみであり、高尚でなく、ためにならないことである。
 
 真理を体現した人はこの二つの極端に近づかず、中道を覚った。
 真理を体現した人が覚った中道はなにか。
 それは、実に八正道である。
 すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。
 
 苦しみのない境地に至る道は、実に八正道である。


                      『転法輪経』(第五巻)


お釈迦様は生涯を通して、この八正道の生き方を実践され、そして教えとして全ての人々に説かれて来られました。
言うなれば、八正道こそお釈迦様の教えの根本をなすものであると云えるでしょう。

では次ぎに、八正道の内容とは、一体どういうものであるのかを説明致します。
先ず、八正道を大きく分けると、
一、正しい見解・正しい思惟=【理解】
二、正しい言葉・正しい行い・正しい生活=【習慣】
三、正しい努力=他の六つに共通するもの。
四、正しい念い・正しい瞑想=注意
以上のように大別することができます。

八正道は世間の道理は何かを熟考、熟知して、それを正しく理解する事をまず求めています。
つまり、正しい見解と正しい思惟は、極端な見解や思想を離れて、世間のものは衆縁和合して消滅している事実を知り、何が苦しみの原因であり、その原因をなくし、真の安らぎに至る方法とその目的を正しく知る事なのです。
この二つのものは正しい思考と理解であって、これだけでは具体的な実践が伴っていない。
この二つが正しく行われるには、次の正しい言葉、正しい行い、正しい生活が必要と説いています。
言葉を慎み、そして規則正しい、節操のある生活を送る習慣を身に付ける事を求めています。
正しい言葉遣い、正しい善行、規則正しい生活が習慣となる事を求めたのが、第二番目の項目なのですね。
そして、第四の正しい念い、正しい瞑想は、第二項目が実現するために必要な事なのです。
つまり、心が乱れていては人は「正しい言葉、正しい行い、正しい生活」は実践する事ができません。
常に教えを的確に記憶し、忘れないように心がけ(念い)、そして常に心が乱れない(瞑想)ように制御し、一つの事に集中(注意)する事を求めています。
これらの第一、第二、第四のそれぞれは実践項目で、どれも絶えず実行する事が重要なのですね。
つまり、「たゆまぬ(正しい)努力=第三項目」であって、他の三つの項目の基幹となる項目なのです。

八正道の実践に当たっては、先ず第二の実践項目をまず実行する事から始め、その間には常に第四の実践項目を心掛けなければならない。
この二つのブロックが実行されなければ、第一の実践項目は成就されない。
正しい教えの理解は、常に日常の正しい行いの上に築かれるのだと、お釈迦様は八正道を通して教えられています。



 四諦(したい)
八正道(中道)を実践する事で、煩悩が生じない境地を実現できるとお釈迦様は説かれています。
この世を観察すると、現実の姿はあまりにも惨めで、そして哀れであることを知らされます。
思い通りにならない世間で、人は自分の思いを遂げようと衝突したり、摩擦したり、争ったりしています。
それは、お釈迦様の時代も、現代の日本の社会も同じですね。
憤りを感じて恨みを持ち、妬みを持ち、怒りに心は煮えたぎる湯の如く、燃え盛る炎のようでもあります。
自分も、そして自分の周りにいる多くの人達も、このように燃えさかっています。
お釈迦様は、このような世間を「火事場」と仰っています。

 よく見るがよい。下界は燃えている。
 下界の者達は感覚的、物質的快楽に耽り、三毒の火がついて身も心も燃えている。
 彼等を取り巻く物さえ燃えている。
 欲望に火がついて、その火に追い回され、背中に火を背負って逃げ廻っている。
 眼が燃えている。眼の欲望が燃えている。
 耳が燃えている。耳の欲望が燃えている。
 鼻が燃えている。鼻の欲望が燃えている。
 舌が燃えている。舌の欲望が燃えている。
 身が燃えている。身の欲望が燃えている。
 心が燃えている。心の欲望が燃えている。
 人のすべての欲望に火がついて燃えている。

     『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』八・十三「燃焼」


この情景が世間の現実なのです。
人々は、あざなえる縄のように、苦と楽を代わる代わる味わいながら、様々な苦しみに悩まされているのです。
この情景を苦しみの真実「苦諦(くたい)=苦しみの真実」と言います。
この四苦八苦の現実は、一体何が原因で現れてくるのでしょうか。
それは、種々の原因が考えられ、すぐ近くにある原因もありますが、遠い昔に遡る原因もあります。
いずれにしても、種々の原因の淵源は「三毒」にあり、又その根源は「奢り(無明)」があって、この奢りが原因となり四苦八苦の現実があるとお釈迦様は仰っているのです。
奢り(無明)に縁りて渇きに似た欲望を起こし、ものに執着し、そして四苦八苦を生じると言うのが、お釈迦様の説く「因果関係」なのです。

この苦しみの真実『苦諦(くたい)』をもたらすのは、奢り(無明)を根源とし、種々の原因の集合と言う真実『集諦(じったい=じゅうたい)』によるものと考えられています。
この苦諦と集諦とは、世間の有様を結果(苦諦)と原因(集諦)の関係で観察したものなのですね。
三宝印の「諸行無常」と「一切皆苦」は、この苦諦を説明しているのです。
そして、この中の苦諦である「一切皆苦(四苦八苦)」は、渇きに似た欲が原因であり、その遠い所に「奢り(無明)」の淵源があると言う因果関係を「苦諦」と「集諦」で説いています。

逆説すれば、苦諦は奢りを淵源とし、それから種々の煩悩が現象すると説くのであれば、原因の中でも「奢り(無明)」を根絶すれば、奢りから派生する種々の煩悩が消え、結果として苦諦も滅する事が出来るのです。
この煩悩が生じない境地を「滅諦(めったい)」と言い、身体的あるいは心理的苦しみが一切消え去った後の心身が健康な状態や、借金を返済した後、借金取りに追われなくなった状態として、お釈迦様は譬えています。
この滅諦の境地こそが、人々の理想であり、目標であり、この境地に達する為に、お釈迦様は八正道の真実「道諦(どうたい)」を説かれたのです。
滅諦と道諦は、結果と原因との関係にあり、集諦を根絶するために道諦を修める事で、滅諦が実現できて苦諦が消え去ると言う事なのですね。


纏めますと、四つの真実「四諦」は、世間は「一切皆苦」と観察して、更に「諸行無常・諸法無我」の道理(衆縁和合の道理)を熟知しながら、八正道を実践して奢り「無明」をなくせば、種々の煩悩が起きなくなり、ついには静かな、軽快な境地に達する事ができると教えられたのです。


苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つを、「四諦」と言い、八正道と合わせて「四諦八正道(したいはっしょうどう)」と言います。
これが、お釈迦様が説かれた仏教の基本的な教えなのですね。



我がものであるという幻想
お釈迦様は「霊魂」や「神」と言うものの存在に対しては「無記」と言う姿勢で答えられました。
「ある」とか「ない」とか、見たことも触れた事も無い、まして神や霊魂の存在がどれ程生類に具体的な効能を示しているのかを証明した人もいない。
そう言う、「わからない」事に関しては、「何も答えられない」と言う態度でお答えになりました。
だから、お釈迦様は「私」とか「私のもの」と言うものも無いと説かれています。
私達が「私・私のもの」と思っているのは、種々の感官や内蔵が集まった身体を「私のもの」と思い込んでいるだけの事であると仰っています。
「種々の感官や内蔵」と言うのは、仏教では人間の身体を「色(肉体)・受(感受作用)・想(表象作用)・行(意思作用)・識(識別作用)」と考えて纏めて「五蘊(ごうん)」と言い表されました。
この中の色(肉体)を構成している要素として、「地・水・火・風」の四要素をあげられています。
これは、アジタ(六師外道のひとり)の論を取り入れているのですが、物質的要素だけで人はできているのではないと考えました。
私達の身体は、感覚作用を抜きにしては考えられない事に気付かれたのです。
これらの集合体(五蘊)が、「私」と思い込んでいるものの正体であり、それらのひとつひとつは空虚なものであって、決して不滅のものではないと仰っています。

ガンジス川に浮かぶ泡の群れは、中身が空っぽで実体が無い。
そのように生類の肉体は、見かけだけの物で、空虚である。

秋になり、大雨が終わると、水面に多くの泡が生じるが、その中身は空っぽである。
そのように、生類の感受作用も空虚である。

夏の終わりの真昼の日照りに陽炎がたつ。
これも実体がなく、形相がない。
そのように、生類の表象作用m0空虚である。

林の中の芭蕉の木は機芯を持たない。実体がない。
そのように生類の意思作用も空虚である。

魔法使いが大通りで種々の魔法を見せている。
実はそれらは実体がないものである。本物でない。
そのように生類の識別作用は空虚である

    『相応部経典 第三巻』


このように、五蘊のどれひとつとして不滅ではなく、空虚なものであると考えると、この「私」「私のもの」に執着する必要はないと言う事なのです。

世間を見渡してみると、「我がもの」とか「我」とかに固執して、そこから生じる様々な苦しみに苦悶している人を多く見受けられます。
本来「空虚」である「我」に、何故それ程執着しなければならないのか。
やがては死が訪れ、壊れ果ててしまう肉体や感覚作用に執着しているのは、「陽炎」や「水疱」に執着しているのに等しいと説かれているのです。
ただ、「因果応報」「因縁応報」のダルマから言えば、善行や悪行を行った「業=カルマ」が輪廻すると仰っています。
「業」には、個人の業の他に家庭(家族)の業、社会の業、世間の業などがあり、その根本を成すものは「個人の業」ですが、それが積み重なって大きな業を作ってゆきます。
戦争も、個人の業が積み重なり、大きな業となって世界中の多くの人を苦しめる事になるのですね。
この業は、Aさんの業はAさんにだけ返ると言うものではなく、それぞれが大きくなれば成る程、何処へどんな形で現れるか解らないと言う結果になります。
罪も無い人が悲惨な最期を迎えなければならないと言う悲運は、社会の業であり、世界の業が積み重なった結果とも言えるのです。
要するに、この世に起こる全ての事柄は、私達ひとりひとりの個人の業が影響しているものと考えられるのですね。
だから「自分だけ良ければ良い。」と言うような利己主義的な考えや生き方は止めなければいけません。
これが、お釈迦様の仰る「網の目(帝網)」であって、顔も知らない人々とも、何等かの関わりを持っていると言う事なのです。
 

 行為によって世間はあり、
 行為によって人々はある。
 生類は行為(業)に束縛される。
 ちょうど車がくさびに結び付けられているように。


世間に存在する生類が働くと、それが様々なものを創り出します。
人々の場合も同じで、国家も社会も家庭も、文化も文明も、全て人々の営為で形作られたものなのです。
その行為(業)が、同時に生類の生き方や考え方を縛る事になると、ここでは説かれています。

だからこそ、空虚な、陽炎みたいな「我・我がもの」に執着しないで、世界中のひとりひとりが「善」のカルマを積む事に専念するならば、その大きな「善業」によって、人々は輪廻から解脱して、あらゆる苦しみから逃れる事ができるのですね。



お釈迦様が説く「人との付き合い方」
六方礼経(ろっぽうらいきょう)と言う経典があります。
これは、お釈迦様が当時の民衆に説いた「日常論理」を最も要領よく纏めたもので、遊行の先々の夫婦、親子、兄弟、主従などの世俗社会の倫理を説いていたのを、紀元前383年(お釈迦様の没年)から268年(アショーカ王のインド統一年)の間のある時期に、完結した形に編纂されたものと考えられています。
この経典の原典名は「シンガーローヴァーダ・スッタンタ(シンガーラへの教え)」で、バラモンの青年シンガーラが毎朝四方に向かって礼拝するのを見たお釈迦様が、「それぞれの方角に人を想定して、その人達との関わりを考えて礼拝する事」を教えたものです。

お釈迦様は、どのような人間関係が理想的であると説かれているのでしょう。
要約して纏めてみます。

【親に奉仕する】
私達は両親を含め、先祖がいたからこそ自分がここに存在している事を考えなくてはいけません。
先祖の恩、両親の恩をいつも忘れてはいけないと説かれています。
先祖に対しては、適当な時々に供物をささげ、供養をしなければなりません。
そして、両親に対しては「奉仕」の心でもって、親の為になることをして、養ってあげなければならないと教えています。

【子を愛する】
親は子を愛するべきだと説いています。
その愛する心の現れとして、
一、悪から遠ざける事。
二、善に入らせる事。
三、技能を学習させる事。
四、適当な妻(あるいは夫)を迎えさせる事。
五、適当な時期に財産を相続させる事。
の五つが述べられています。

先ず、子供に対しては「事の善悪」をしっかり教える(基本的人倫を学ばせる)事が、親が子供を愛する表れのひとつなのですね。
そして、出来るだけ多くの知識を得させて、教養を身に付けさせ、職業につくための技能を学ばせるのも、親が子に果たすべき義務であると言います。更に、子供が金銭に困っているとき、援助する。又、子が家を建てる時、あるいは結婚するとき、死んだ時などに、まとまった金を出してやったり、財産があれば適当な時期に相続できるようにする事も、親が子に対して行う愛の現れと教えています。


【夫は妻に奉仕する】
ここの「奉仕する」と言う言葉は、普通であれば「面倒見る」「養う」と表現されるところなのですが、お釈迦様は敢えて「奉仕」と言う言葉を使われました。
この「奉仕」と言う言葉の意味は「利害を超えて為になるように仕える事」で、妻に対する尊敬の念が込められていなければ、できない事です。

一、妻を尊敬する事。
二、妻を軽蔑しない事。
三、妻以外の女性と邪淫しない事。
四、家では妻に権威を与える事。
五、時々妻に装飾品を提供する事。

妻を対等に扱い、話し相手、相談相手として敬い、意見をよく聞いて受け容れるべきだと言っています。
古代インドでは、このように「妻」あるいは「母」を大事にし、尊敬する事が家庭の幸せに繋がるものと考えられていました。


【妻は夫を愛する事】
日本では「妻が夫に従う事」が夫婦のあり方と言う考えがあります。
「従う」は「敬い従う」「敬い仕える」と言う意味で、従順に夫に仕える事が、理想の妻であると言う考え方なのですね。
しかし「奉仕する夫を愛する」と言う関係からは、「夫に従う、仕える」と言う考えは生まれてきません。
妻に奉仕する夫は、優しく実直な、そして敬虔な心の持ち主なのですから、その夫を「忍従」する必要は無いのです。
実権を握って、妻を召使いのように従える夫の姿は、「奉仕」の精神からは決して見られないのです。

夫を愛する妻の心として、
一、家事をよく処理する
二、眷族をよく待遇する
三、夫以外の男性と邪淫しない
四、集めた財を保護する
五、なすべき事すべてに巧みに、かつ勤勉であること
が説かれています。

私自身に当てはめてみても、尊敬し浮気もせず、信頼して家事全般を任せてくれ、結婚記念日や誕生日などにプレゼントを忘れない夫だったら、心から愛してしまうでしょう。
お釈迦様って、女心をよく知り抜いていらっしゃる方だったのですね。




お釈迦様が説く、人との付き合い方 続き

【資(弟子)は師を愛する事】


一、座席を立って礼をする事。
二、近くに侍る事。
三、熱心に聞こうとする事。
四、給仕する事。
五、恭しい態度で学芸を受ける事。

これを書きながら、近頃の学校の様子を思い浮かべると、一つとして実践されていないような気がします。
明らかに師弟関係が崩壊しているのですね。
今は「師弟関係」よりも「友人のような関係」が良い風潮のように受け止められています。
確かに「平等」と言う観念からは、そう言う関係も良いのかもしれませんが、歴史と伝統に培われてきた古人の智慧の重みを伝えるには、少々軽薄感を感じます。
四、の給仕をする、と言う意味は、単に師の身の回りの世話をするだけの意味ではなく、師の傍で色んな事を手伝う事によって、計り知れない知識を得る機会が得られる、と言う事なのですね。


【師は資に奉仕する事】

一、正しく訓育し、指導する事。
二、習得したことを記憶させる事。
三、学芸の知識をすべて説明してやる事。
四、友人、同胞に学人の長所を吹聴する事。
五、学人がどこにいても庇護してやる事。

人を教える、訓育する、指導する方法は、ひとつではありません。
相手、状況、時、によっても違いますし、直接教える事もあれば、間接的に教える事もあります。
しかし、お釈迦様がここに述べられた事は、それぞれの立場における基本的な姿勢なのです。


【個人は同胞に奉仕する事】

一、施す事。
二、優しい言葉をかける事。
三、人のために尽くす事。
四、協同する事。
五、欺かない事。

施す事の意味には、物を施す事と知識あるいは教えを施す事の二つがあります。
専門的には「無財の七施」と言って、七つの布施の方法があります。
施しの中でも優れているのは、知識や教えを施す事だと説かれています。
そして、沢山持っている中から施す事よりも、僅かな中から施す事が、特に優れているのです。

【同胞は個人を愛する事】

一、個人が無気力な時、守ってやる事。
二、個人が無気力な時、その財産を守ってやる事。
三、個人が恐れおののいている時に、保護者となる事。
四、個人が逆境に陥っている時でも見捨てない事。
五、個人の子孫を尊重する事。

人が逆境に陥いると、回りの者は打って変わって疎遠になったり、同情するどころか、見向きもしなくなるのが世の常です。
お釈迦様の時代にも、そのような事があったのでしょうね。
結局、時代や場所は違っても、人間の本質は変わらないと言う事なのでしょう。
しかし、これではいけない、とお釈迦様は仰っています。
誰でも人生の内では逆境に陥る事はあるものです。
そんな時こそ、その人を助け、それまでと同じように付き合ってゆくのが、本当の同胞の付き合いなのですね。
同胞と言うよりも、私達には「社会」と受け止めると解りよいかもしれません。

【雇主は従業員に奉仕する事】

一、その能力に応じて仕事をあてがう事。
二、食べ物と給料を給与する事。
三、病気の時に看病する事。
四、素晴らしい珍味の食べ物を分かち与える事。
五、適当な時に休息させる事。

人はそれぞれ、持って生まれた能力の差がある上に、生まれた後の教育によっても能力に差がある事を考慮しなければなりません。
又、それを見極める能力が、雇主には必要であるとも云えます。
そもそも、現代の日本の雇主の中で、従業員に対して「奉仕する」と言う考え方の雇主がどれ程いるでしょうか?
反対に従業員が奉仕するものと考えている人の方が多いような気がします。


【従業員は雇主を愛する事】

一、雇主より朝早起きる事。
二、雇主より後に寝付く事。
三、与えられた物だけを受け取る事。
四、その仕事をよくこなす事。
五、雇主の名誉と称賛を吹聴する事。


雇主が、従業員に対して奉仕の姿勢をとってくれるのであれば、従業員は雇主を愛する事ができるのではないでしょうか。
こうしてお互いが信頼感で結ばれている限り、相手を非難したり軽蔑する事は無いのですね。


以上、お釈迦様が説かれた人との付き合い方を要約してきましたが、つまりは、「人間関係は、奉仕し、愛する事。」にあると言う事なのです。
「奉仕」と言う言葉に抵抗感を感じる人もいらっしゃるかもしれませんが、決して「滅私奉公」を意味する「奉公」ではない事を理解しなければなりません。
ここでの「奉仕」には、相手の人格を尊重し、相手を慈しむ心を持って接っしなければならないと言う考えから出ている言葉なのですね。
「互いに相手を慈しみ、同情する心」を持って接すれば、「夫が妻に奉仕する」ことも「雇主が従業員に奉仕する」ことも、「滅私奉公」ではない事が理解できるでしょう。




 火の崇拝と祭儀を否定

バラモン教の祭儀に関する種々の網要書には、人間の一生の重大な時期、つまり出生、命名、入盟式(学問をするための入門式)、結婚式、葬式などのいわゆる通過儀礼には、決まった呪術的、宗教的祭祀がなされています。
しかし、お釈迦様はこれらの通過儀礼などの宗教儀礼は悉く軽視し、無意味なものとして一蹴したのです。
お釈迦様は神を立てない道を説く思想家、宗教家であり、神々の存在を前提にした教説は人々には示しませんでした。
とは言っても、神々の存在を頭から否定したと言う訳でもありません。
それは、お釈迦様の教えの中に、「在俗の者は正しく戒を守り、修行者に心から布施を行えば、将来天に生まれる事ができる。」と教えている所からも伺えます。
生天の信仰は、古来インド人の民間信仰としてあったのですが、これをお釈迦様は否定してはいません。
ただ、バラモン達が行う「生贄(犠牲)」を奉納して祭祀をする事を非難し、排斥したのです。
「生きものは生まれの上からみな平等である。」と言う考えから、弱い生きものだけを殺す事を許さなかったのですね。
そして、お釈迦様は火を崇拝する事も排斥し、その信仰を不合理な行為と決めつけました。
もし火の崇拝によって人の罪障が除かれるのであれば、火を毎日扱う鍛冶屋は皆優れた聖者となり、死後生天を約束されるはずだ、と言うのです。
ガンジス河の沐浴も同じ論拠から排斥しています。
ガンジス河の水で人々の汚れが浄くなるのであれば、日々洗濯を仕事とする洗濯屋は皆身が浄められ、死後の生天が約束される事になると仰っています。
このように、お釈迦様は不合理な伝統的信仰、宗教的行為は悉く否定、或いは排斥し、他にも魔法、呪術、卜占の類も指弾しています。
要するに、不合理な儀礼自体を不必要と考えていたのです。

したがって、仏教教団はバラモン教で行うような通過儀礼に関わる祭祀儀礼を持ちませんでした。
葬儀や年忌などは世俗的なことだと言う考えから、仏教修行者はこれらの行事には関与しなかったのです。
お釈迦様の立場から言えば、仏教は通過儀礼には全く関わりを持たない宗教であったと言えます。

お釈迦様がこのような合理的な考えを持つ人であった事を示す経典をご紹介致します。
相応部経典巻四、「西土の人」と題名がついています。
内容はナーランダーで釈尊が説法された時のものですから、西土の人と言うのはコーサラー国のシュラーヴァスティ(舎衛城)付近に居処を持つバラモン達を指していると思われます。あるいはイランあたりから来た拝火教徒達を指しているのかもしれません。

この経典はお釈迦様と村長の問答を記しています。
お釈迦様が質問し、村長が答えると言う形です。

村長 「世尊よ、西土から来たバラモン達は、水瓶を携え、百合の花環をつけ、沐浴して身を浄め、火を礼拝します。そのようにして彼等は死人の名を呼んで呼び起こし、生天させようとします。世尊も、世間の人が死んだときこのように生天させて、どこか善いところへ導かれるような事をなさるのでしょうか?」

釈尊 「村長よ、今それについてこちらから質問するから、これに思った通りに答えなさい。よろしいか。いまここに次のような人がいるとしょう。彼は殺人者で、盗人で、快楽に耽溺する者で、嘘をつき、卑猥な言葉を使い、意地悪でどうしょうもない乱暴者であったとしょう。
いま、その人の死後、生天できますようにと言って、多勢の人々がその人の為に祈願し、礼讃し、合掌したとして、さて、その人は死後、天界に生まれることができるであろうか?」

村長 「そんなことは考えられません。」

釈尊 「たとえば大きな岩を深い湖に沈めて、これを多勢の人々が集まり、岩よ浮上せよ、と言って合掌して祈願しながらその湖の周りを歩いたとしたら、その祈願によって岩が浮上してくるだろうか。」

村長 「そんなことはありません。」

釈尊は、よこしまな考え方、生き方をしている人を、多勢の人々の祈願によって、死後天界に生まれさせるようにすることは出来ない。かえって、その人は悪行の報いによって、苦界、地獄に生まれることになろう、と教え、さらに次ぎにこれと逆の説明をしました。


釈尊 「ここに五つの戒を守り、つねに正しい考えをもち、慎みある行いをする人がいたとしょう。いま、多勢の人々が集まり、この人が死後地獄に堕落するようにと合掌して祈願したとして、この人は死後六道に彷徨い、苦界、地獄に生まれることになろうか。」

村長 「そんなことはありません。」

釈尊 「たとえば油を入れた油壺をあやまって深い湖に落としてしまったとしょう。そしてその油壺が湖底で壊れて、油があふれ出て水面に浮かんだとしょう。そこで、その浮かんだ油を湖底に沈めようと思い、多勢の人々が集まり合掌し、沈むように祈願したとして、そのおかげで油は沈むだろゆか。」

村長 「そんな道理はありません。」

釈尊 「それと同じように、五戒を守り、つねに正しい考えをもち、慎みある行いをする人がいたとして、この人を死後苦界、地獄に堕落させようと多勢で祈願してみたところで、その人はそれとは無関係に、道理にしたがってやはり天界に生まれることになろう。」

  注意・・・ここで紹介したものは、仏教の開祖、お釈迦様の言葉であることを断っておく。(田上太秀氏『仏陀のいいたかったこと』より)

お釈迦様は、バラモン教の司祭者達が行っていた呪術や祈願などがいかに不合理であり、迷信的信仰であるかを、このように譬えでもって批判しています。
これは現在の仏教批判にも通じるのではないでしょうか。
「呪文を唱え、祈願をいくらしても、それがなんの効験(ききめ)をあらわすというのだろうか。」とお釈迦様は言います。
もし地獄へ堕ちるような行為をした人間が、多くの僧侶に金銭を積んで祈祷をしてもらい、その呪術によって極楽に生まれることが叶うことになれば、人の善行は一体何の意味があるのだろうか。
それは人倫の道を破壊し、否定することである。
悪行を積んだ者は、それによって地獄の苦を受ける。
これが道理だとお釈迦様は言うのです。


このような迷いから目を覚ます事をお釈迦様が仰っている事に、仏教徒はもっと注目するべきではないでしょうか?
全ての苦しみや楽しみは、自らの行為にによって招かれたものであって、呪術や祈祷によって左右されるものではないと言うのが、お釈迦様の考えなのです。




生まれによる平等を説く

人間には本来、善人とか悪人とか区別されるような人種はいないと、考えています。
お釈迦様が仰るように「行いによって悪人があり、善人がある」と、信じたいですね。

原始経典にこのような喩説があります。

 人にはいろいろの種類がある。
 心の曇りの少ない者もいれば、曇りの多いのもおり、
 賢い者もいれば、愚かな者もいる。
 善い行いの者もいれば、悪い行いの者もおり、
 教えやすい者もいれば、教えにくい者もいる。
 たとえていうと、青・赤・黄・白、色さまざまな蓮の池があって、
 水中に生え、水中に育って、
 水の表面にでない蓮もあれば、水面にとどまる蓮もあり、
 水面を離れて、水に濡れない蓮もあるようなものである。

 この差別の上に、さらにまた、男・女の区別があるが、
 しかし、人の本性に差別があるのではない。
 男が道を修めて悟りを得るように、
 女もまた道を修めれば、
 然るべき心の道筋を経て
 悟りに至るであろう。

    「『パーリー律大品』115」


このように、お釈迦様は人としての本性に違いが無いことを教えています。
当時の世情を考えると、とても勇気が要った教えではないでしょうか。
人々の社会に階級制度があるのは、人の現象面、形象面だけに執着して、好き嫌いの感情で判断したり、人為的な尺度をあてはめて差別をしたものなのです。
色が黒いというだけで差別される。
貧しいというだけで差別される。
汚れた仕事をしているというだけで差別される。
言われのない言い伝えで差別される。
学歴の有無で差別される。
このような差別をすること自体不合理が不合理であると考えます。

インドでは僧侶は本来、社会の階級制に強く反対し、人間平等を唱道する生き方を垂範すべき人たちでした。
お釈迦様はクシャトリア(王族・貴族階級)の出身でありながら、その階級の名誉・地位を捨て、一介の乞食者となり、当時の社会における底辺の人々と同じレベルから社会をご覧になりました。
身なりも、それこそボロをまとい、食べ物も牛馬の餌にも等しい、まずいものを食べたといいます。
そこから、お釈迦様は本来の人間無差別を説かれたのです。





教団内での平等

お釈迦様は「道を説く人」であったので、人は皆平等であると考えてはいても、それに関して制度の改革を訴えて人心を惑わしたり、議論をするような事は行いませんでした。
ひたすら人の道を説く事に専念していたのではないでしょうか。
ただ、仏教教団は「法」に則って生活する者の集まりであるから、その中では皆、カースト制度もその観念も持っていませんでした。
たとえ出家前に国王であろうと、バラモンであろうと、出家後は賤民出身の出家者と同席して、一様に説法を聞かなければなりませんでした。
勿論着る物も食べる物も、全て皆同じです。
出家の年次によって席順に上下があると言う以外は、教団内では全て無階級の人間となります。

 たとえばガンジス河、ヤムナー河、アチラーヴァティー河、サラブー河、マヒー河などの大河は、大海に入れば前の名と 姓とを捨てて、ただ大海と呼ばれるように、四姓は如来が説かれた法と律において出家すれば、前の名と姓を捨てて、 ただ「釈門釈子(しゃくもんしゃし)」と呼ばれる。

                 (『パーリー律小品』五五七)

このように、出家すれば皆「釈門釈子」となり、善悪の行いによって善人・悪人の差別がある以外は、皆平等であると考えていました。
このような身分の差別が無い教団内は、カースト制の桎梏の苦しみをもっとも味わっていた餞民にとって、一種の「逃げ場」となり得るはずであったのですが、現実には出家者の中に十指を数える程いたかどうかとと言う程度であったようで、当初仏教教団を推進していた者にはバラモン出身者が殆どでした。
仏伝の中に時々餞民の話もでてきますが、それは本当に稀なケースであったようです。

このようなお釈迦様の「人間平等」と言う考えは、教団内では確かに実現することができましたが、全インド社会にまで浸透するには至りませんでした。
当時の社会性やバラモン側から考えてみますと、「釈尊は社会秩序を混乱に導こうとしている」と言うように受け止められて、かなり非難もされたようです。
そして、お釈迦様が入滅された後には仏教教理の中に人間差別の思想が再び現れてきた事を看過してはならないと思います。




人間は皆平等

「平等」に関して、お釈迦様の教えをもう少し深く考えてみます。
参考書籍は「万人に語りかけるブッダ」雲井昭善著から引用させて頂きます。

 身を稟(う)けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間の間ではこの区別 は存在しない。
人間の間で区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ  
(「スッタニパー タ」第611偈)

人間の間には、区別は無いのであって、ただそれを区別するのは「名前」だけだと 仰っています。
これが、お釈迦様の基本的な考え方のひとつであった事は、このスッタニパータと言 う経典が、最も古い時代の経典の形を表している事から理解出来ると思います。

当時の階級制度「カースト制」を、お釈迦様は何故このように問題視されたのでしょ うか。
その意識の深部をはかり汁事はできませんが、おそらくお釈迦様の思いとして「真理 =法の前には、人間は皆平等である」と言う生命の尊厳に根付いた人類愛の精神が あったのではないかと思います。

 あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の 生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみ)こころを起こすべし。   
(「スッタニパータ」第149偈」


と言うように、お釈迦様は全ての人間は一人ひとりが尊い命を与えられている、と言 う共通の地平に立った宗教を目指したと思うのです。
自分の命を愛し尊重するならば、当然他人の命をも愛し尊重するのは、当たり前のこ とと言わねばなりません。
そこから、他者への思いやりの心が生まれてくるのです。

仏教は社会の規範として五戒を主張するのですが、その最初に「不殺生戒」を定めて おります。
その背景には当時の社会情勢が深く関わっており、又、お釈迦様の平等感にも深く関 係していると思われます。

古代インドでは、バラモン教という宗教を支えた村落中心の社会機構から都市国家へ の成立へと向かった時代であり、原始仏典はその当時の都市国家群として、「十六大 国・六大国・四大国」などについて多く言及しているものがあります。
一国が領土を拡張するには、戦争を避けることはできません。
闘争によって国が国を征服するという現象は、インドにあっては、実はアショーカ王 (阿育王=あいくおう・紀元前268または267〜232年治世)が統一国家を建設するまで続きました。
このような時代背景の中で、人が人を殺し合う現実を目にして、お釈迦様はシャカ族の王位を捨てて出家したわけです。
お釈迦様のこの出家の原点を推察するとき、苦悩と取り組む人間に共通するテーマが、お釈迦様の心の深層部にあったと考えて良いと思います。

 老いと死とは人々の上におそってくる。
王族・武士(クハッティヤ)・婆羅門(ブラーフマナ)・庶民(ヴェッサ)・隷民(スッダー)・・・中略・・・の
何ものにもまぬがれることなく、すべて押しつぶされてしまう。
  (「相応部」1 ・102頁「南伝」第12巻170頁)


あるいは、

 四姓の何人も、無怨・無瞋・慈心を修得することができる。 
 (「中部」1・ 151頁。「南伝」第12巻182頁)


と原始仏典は語っています。




生きとし生けるもの

一切の生きとし生けるもの(=全ての人々)は、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
(「スッタニパータ」第145偈後半)

お釈迦様の万物に対するこの思いやりの心は、生涯を通じて変わる事はありませんでした。
この思いは、いつの時代にも、いずれの場所においても、人間が共に生きる上での大切な心情ではないでしょうか。
私達はこの地球上にあって、それぞれ一個の人格体として生をいとなみ生きております。
しかし「生きるとはどういう事なのか?」と改まって真剣に考えている人がどれくらいいるでしょう。
おそらく、殆どの人がそのような事を考える事なく、ただ「生きている」に過ぎないのではないでしょうか。
私達ひとりひとりは、それぞれ両親、兄弟、姉妹と言う家族構成員の一人として生きています。
核家族が増えた現代においても、基本的には変わりがないと思います
そして、学校生活や社会生活においては、多くの友人や教師、同僚、上司などなど・・・今やその生を営む場は国内に留まらず地球上のあらゆる場所へと飛躍的に拡大されました。
いわば、個々の生の営みは、「一人でおこなって」はいても、一人では生きてはゆけず「みんなで生きている」わけなのです。
以上は、人間社会を中心にした発想で、もうひとつ忘れてはいけないのが、「人間をとりまく周辺の自然、環境」です。
この地球上には人間以外の生物も、呼吸していきています。
そのあらゆる生物は、大地や太陽の熱、水、酸素、空気なくしては生きてはゆけません。
更に、世界60億の人類を支えてゆくには、大きな資源エネルギーが必要です。

このように考えて参りますと、人が生きると言う事は「みんなで支え合い」「共に生きてゆく」と言う態度を何よりも先ず持ち合わせていなければなりません。
と言う事は、「人間は多くの因縁によって生かされている。」事に気付く事が大切なのです。

この私達の身は、縦の因として直接には父母によって与えられたものでありますが、遠い過去の因に遡ってみれば、祖父母があり、さらには曾祖父母があるわけです。
又、横の縁を考えますと、自分をとりまく友人達、社会、環境をはじめ、多くの人々や自然環境との関わり、つまりは因縁によって生かされているのです。
ですから、私達はこの「縦の因と横の縁」を常に心に留めて生を営むことを問われているわけなのですね。
そうでありながら、私達はときとして「ひとりで生きている」と言う錯覚に陥り、自己中心的な人間中心、人間本位の行動に走りたがるのです。
原始仏典は、すべての存在(諸法)は因(ヘーツ)と縁(パッチャヤプラトヤヤ)によってなり立っている、と教えています。
因縁和合(いんねんわごう)」とか「因縁所生(いんねんしょしょう)」という仏教の熟語は、そのような背景から生まれたものです。
それを踏まえて、原始仏典は「縁起説」と言う思想に凝縮し、やがて大乗仏教となってからは「重々無尽の縁起(じゅうじゅうむじんのえんぎ)」=華厳経、へと展開していったのです。




慈しみの心

ここでは主にスッタニパータと言う経典から説明させて頂いております。
スッタニパータとは、「スッタ」と「ニパータ」の合成語で、スッタとは「縦糸」「経」の意味です。
ニパータは「集成」と言う意味があります。
従って、語義的には「経の集成」つまり、「経集」と言う意味になります。
これは、南伝大蔵経の第24巻に「経集」(水野弘元訳)のタイトルで、和訳に註、解説を加えて出版されております。
同書には「仏教の多数の諸経典のうちでも、最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)の言葉に最も近い詩句を集成したひとつの聖典である。」(岩波本433頁)と言う確信と、注釈から名付けられたのだと思います。

このスッタニパータ「経集」第一章第八経「慈経」・スッタニパータ第145偈〜150偈に、

 他の識者の非難を受けるような下劣な行為を、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。(同145偈)


 いかなる生きもの生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも   (「同」第146偈)

 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。  (「同」第147偈)


ここに掲げた仏陀の言葉は、現代に生きる私達に「共に生きる」事の原点を示唆しているように思います。
しかし、共生の理念をどれほど語ったとしても、その理念が具体的に実現されなければ、画餅に等しく空虚なものです。
全ての人々、全ての生命あるものが幸せであれ、安穏であれ、と語った仏陀の叫びを、いまこそ再確認すべきではないでしょうか。


 あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。  (「同」第149偈)


 また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。   (「同」第150偈)


この慈しみの心は、「慈悲」という言葉として仏教という宗教を特徴づけるものです。
世界の三大宗教を特徴づけるものは何か、ともし問うならば、キリスト教は「愛」を、イスラム教は「正義」を、そして仏教は「慈悲」と並んで「智慧」を説く宗教であることは言うまでもありません。
後世の大乗仏教は「智慧の文殊菩薩」「慈悲の普賢菩薩」と言うように、智慧を獲得して慈悲行に徹する事を「菩薩行(六波羅蜜行=ろくはらみつぎょう)=菩薩に課せられる六つの実践項目で、布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、智慧」としております。
ここには「慈悲」の言葉は見られませんが、「布施行」も慈悲と関連づけられるものとして示されております。
大乗仏教は、実は慈悲の根拠を空性(くうしょう)に求めるのがその建前です。
例えば、布施と言う行為が完全であるためには、施す者、施される者、そして施物の三者が空寂であること(三輪清浄)によって、初めて布施の功徳が生まれるのであり、それを布施波羅密行と言います。

 「すべての人々が幸せであれ」という意趣を持って、(相手の人々に)利益と楽とを与えようと欲することが「慈=メッター」である。

 「あぁ、実に(人々が)この苦しみから解脱するように」という意趣を持って、(相手から)不利益と苦とを除去しょうと欲する事が「悲=カルナー」である。  (「パラマッタジョーティカー」U・182頁)


この解釈から、慈は与楽、悲は抜苦と言う理解が定着し、「慈悲」とは「抜苦与楽(ばっくよらく)」の心情と称するようになりました。
仏徳を称賛する意味から「大慈大悲(だいじだいひ)の観世音菩薩」と言うような表現が生まれるようになったのも、ごく自然の事と思われます。

このように、慈悲を考えてみますと、慈も悲も相手側に立った発想であることに気付きます。
相手、あるいは全ての人々が求めている安楽と、除いて欲しいと願っている苦しみを抜き去るという、大きな慈しみとあわれみの心情を持つ事が、私達に強く訴えられているのです。
それは、他者に対する癒しの心であり、共に生きる上での理念と言えましょう。




仏教の原点を見つめて

1、三法印

三宝印について、今回はお話させて頂きます。
仏教は何を説く宗教かという設問に対して、三つの「法印」(法・真理のしるし)を主張する、という見解が古くから定着しています。

三宝印

@ 因縁によって形づくられた全てのものは無常である、という法印・・・諸行無常(しょぎょうむじょう)

A 現象界の全ての事物(諸法)には、永遠不変の実体というものはない、という法印・・・諸法無我(しょほうむが)

B 全ての迷いが消え去った悟りの境地は、静かで安らぎの世界である、という法印・・・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)


さらに、この三つに

C 全て形成されたものは苦である、という法印・・・一切皆苦(いっさいかいく)

を付け加えて、「四宝印」と称する場合もあります。

この三宝印が仏教経典に初めて登場したのは(「雑阿含経」巻10(大正蔵)第2巻66頁中)ですが、この漢訳経典に相当するパーリー聖典(「相応部」22・第90経「阿」3・132頁)では、諸行無常と諸法無我の二つが揚げられているだけです。
しかし、原始仏典の古い資料のひとつである「ダンマパダ(法句)」や「テーラガーター(長老偈)」を見ますと、

 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明かな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。    (「ダンマパダ」第277偈 「テーラガーター」第676偈)

 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明かな智慧でもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。    (「ダンマパダ」第278偈 「テーラガーター」第677偈)

 「一切の事物は我ならざるものである」(諸法非我=諸法無我)と明かな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。   (「ダンマパダ」第279偈  「テーラガーター」第678偈)


と、無常・苦・無我の三つをセットにして語り、しかもこの三つを智慧をもって観るとき苦しみを離れる、と清浄への道を示しています。

ここにみる詩偈の発想は、原始仏教聖典に頻出する以下の定型句として伝承されていたのです。

 色〔受・想・行・識〕(五蘊)は無常である。およそ無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは、それはわたくしのものではなく、これはわたくしではなく、わたくしの我ではない、とこのようにこれを如実に正しい智慧で見るべきである。
            (「相応部」3・22〜23頁。「南伝」第14巻33〜34頁)


この無常・苦・無我というとらえ方が、いわゆる「諸法無常」「一切皆苦」「諸法無我」という仏教の法印として定着するのです。
しかし私達は本能的に移り変わらないものを求め、苦よりも楽を望みたがるものです。
とりわけ、この身がいつまでも生き続けることを願うものです。
そして、結局そのような願いが空虚なものであることに気づくのですね。
仏教の三法印あるいは四法印は、このような人間の欲望を智慧の剣、金剛の石で砕いた真理として示されたものなのです。




四無量心

原始仏典において、いわゆる利他行として強調されるものに「四無量心(しむりょうしん]」の教えがあります。
慈・非・喜・捨(しゃ)という無量の心で他者に接する態度、実践を示したものです。
この四つの中で、@慈心(慈しみの心)A非心(あわれみの心)については既に(NO19)で述べておりますのでここでは省かせて頂きます。
Bの喜心というのは、他者の幸せを、自分の幸せとして喜ぶ心であり、Cの捨心(心の平静)は、平等心で、差別の無い心の事を言います。


 慈しみ(=慈(メッター)と平静(=捨(ウペークハー)とあわれみ(=悲(カルナー)と解脱と喜び(=喜(ムディター)とを(=喜びとの解脱を)時に応じて修め、世間全てに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。          (「スッタニパーダ」第73偈)

  注釈》「一切の有情(人々)は幸せであれ」云々という意趣で(人々に)利益と楽を与えようと欲する事が慈(心)である。


     「ああ、実に(人々が)この苦しみから解脱するように」云々と言う意趣で、不利益と苦を除こうと欲する事が悲(心)である。


     「ああ、尊師たちは喜び、有情(人々)は喜んでいる。よいことだ、いいことだ。」云々と言う意趣で利益とか楽から離れないように欲する事が喜(心)である。


     「(この世で)自分がなした業(行為)によって、(その人の未来のすがたが)知られるから」と楽苦に無関心になる事が捨(心)である。


     「解脱とは、これら(慈・悲・喜・捨)の四つとも(それ)自体の反対(対峙)の法(パッチャニーカ・ダンマ)から離れているので解脱である。            (「パラマッタジョーティカー」U・182頁』

この思想が修行者達の四つの徳として伝承されたのですが、「長部」第26経「転輪聖王獅吼経」に

 修行者(比丘)たちよ、修行者が財宝に富むとはどういうことか。
ここに修行者があって、慈とともなる心・・・悲とともなる心・・・喜とともなる心・・・捨とともなる心をもって遍満している。
修行者達よ、これこそ修行者が財宝に富むと言うことである。    (「長部」3・78頁「南伝」第8巻96頁)

と説かれております。
後年この四つが「慈悲」と「喜捨」のふたつに分けられて伝えられるのですが、その場合の「喜捨」は、喜んで財物を施すこと、または報償を求めないで施す意に使われています。

四無量心が修行者たちの財宝としてあげられた背景には、修行することが自らの為であるばかりか、他者に向かっての接し方にも通じていたことがあるかと思うのです。
その意味で、自利行から利他行への発想が伺われます。


  比丘たちよ、これらは四摂事である。布施・愛語・利行・同事である。 
 (「増支部」2・32頁「南伝」第18巻60頁)


「布施」は施し与えること。
「愛語」は慈愛の言葉で、他者に接すること。
「利行」は他人の為になる行為をすること。
「同事」は他人と苦楽を共有することで、本来は大乗仏教において成熟した思想で、人間生活において重要な教えとして 今日問われている社会への奉仕、社会福祉の原点である「四摂法」の理念と実践が、原始仏典に説かれておりました。




四つの尊い真理

仏教の原点を見つめるシリーズとして、これまでにもお話させて頂きました「四諦八正道」に関して、原始仏典ではどのように書かれていたかを見てみましょう。

四つの尊い真理

原始仏教の思想を特徴づけるものとして「四聖諦(ししょうたい)」「八正道(聖八正道)」「十二因縁」が代表的なものであることは、学界の等しく認めるところです。
スッタニパータ(経集)は、その源素材を私達に提供してくれています。

『スッタニパータ(経集)第三章第十二経「二種随観経」(岩波本「二種の観察」)』は、私達に原始仏教の基本姿勢、そして人間の処すべき方向づけを示してくれる経です。

この経は「如是我聞」の散文を持つ十七経のうちのひとつですが、その序文に修行者達が悟りに導く真理を聞くのは、「二種ずつの真理を如実に知るためである」と、経の主旨を示して、その二種とは何かについて「これは苦しみである。これは苦しみの原因である。」というひとつの観察(法)と、「これは苦しみの消滅である。これは苦しみの消滅に至る道である。」という第二の観察(法)を語っています。
これを受けて、


 苦しみを知らず、まだ苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、____    (『スッタニパータ』第724偈)

 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。
             (『同』第725偈)

 しかるに苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、____    (『同』第726偈)

 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終滅させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。           (『同』第727偈)



これらは有名な「四聖諦(四諦)=苦諦・集諦・滅諦・道諦」の原初的内容となるものです。
原始仏典に共通する解釈で具体的に説明しますと、迷いの生存は苦(四苦八苦)である、という真理『苦諦』。欲望(渇愛)と無知(無明)が苦を生起するという真理『苦集諦』。欲望と無知の消滅した状態が苦滅の境地(涅槃)である、という真理『苦滅諦』。この苦滅に至るには、正しい実践道(八正道)による、という真理『苦滅道諦』となります。

この四聖諦と道諦の内容となる「八正道」の教えは、これまでにも述べて参りましたが、仏陀成道後に初めて五人の修行僧(五比丘)に語った「初転法輪」の内容となるものです。
パーリー聖典(『相応部』56・第11〜12経「如来所説」。「南伝」第16巻下、339頁以下)には、これらに関する事が詳しく述べられております。
重複しますが、ここでもう一度内容を見てみましょう。

先ず、第一段では、凡夫の眼を開き智慧を生じさせ、永遠の安らぎと正しい悟りに導くのは、苦行主義や欲楽に耽る快楽主義の二極端(二辺)を離れた「中道」という「八正道」であると示し、第二段として@苦の内容 A苦が生起する理由 B苦を滅すること C苦を滅する方法としての八正道と言う、まさしく四聖諦の内容を具体的に説いています。
@とAとは迷いの現状とその原因を、BとCは悟りの状態とそこに至る道を示したもので、これによって迷いと悟りの二面が説かれているわけです。

真理の内容を、この経典から詳しく見てみます。

一、苦と言う真理。生まれ、老い、病み、死ぬこと、愁い、悲しみ、苦しみ、憂い悩むことも苦である。
憎しみあう人と会うのも苦(怨憎会苦)。愛しあう人と別れるのも苦(愛別離苦)。求めたものが得られないのも苦(求不得苦)。総じて言うと、この人生のあり方すべてが苦(五蘊盛苦)である。

二、苦が生起する因という真理。迷いの生存を引き起こし、よろこびと貪りを伴い、いたるところに執着する愛欲(渇愛)が苦生起の因である。
これは、情欲的な欲望と、生存に対する愛欲(有愛)と、生存の滅無に対する愛欲(非有愛)である。

三、苦を滅するための真理。その渇愛を余すところなく滅し去り、棄て去り、離脱してもはや執着することがないようにすることである。

四、苦を滅する状態に到達する道としての真理。『正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定』の八つの道である。





十二支縁起説

原始仏教の思想を代表する教えのひとつに「縁起説」があります。
原始仏典には、私達がよく耳にする「十二支縁起」の他に「十支縁起」「九支縁起」「八支縁起」「五支縁起」など、種々の縁起系列が見られるのですが、その中で、九支、八支、五支はいずれも十二の支分のいずれかの支分から始まるものです。
従って最も系列の整った「十二支縁起」が、縁起説を代表するものと考えて良いでしょう。
これを踏まえて『スッタニパータ(経集)』第3章第12経「二種の観察」に見られる素朴な縁起説が、どのように語られていたかを考えてみたいと思います。

そこで先ず、「十二支縁起」について、最も整った形で伝承する一文を紹介します。
これは成道直後の仏陀の悟りの内景を叙述したものです。

 「十二支縁起=十二因縁」について

 そのとき仏・世尊は、ネーランジャラー(尼連禅)河の岸辺の菩提樹下で悟りをひらかれ、ウルヴェーラー村に滞在していた。

世尊は菩提樹下で七日間、足を組んだ「結跏趺坐(けっかふざ)」ままで解脱の楽しみを享受しながら座っていた。
そして初夜に、さとった縁起の真理を順・逆に思考した。
すなわち・・・

@無明(無知)によってA行(人間の行為を形成する思考。滞在的形成力)がある。この行によって、B識(識別作用。心)があり、識によってC名色(名称と形態=対象)がある。名色によってD六処(六入ともいう。心と対象を結ぶ六つの領域で、眼・耳・鼻・舌・身・意の感官)があり、六処によってE触(心が対象と接触する)がある。
触によってF受(感受作用)があり、受によってG愛(渇愛。渇きに似た欲望、妄執)がある。
愛によってH取(執着)があり、取によって、I有(生存)があり、有によってJ生(出生、生まれること)があり、生によってK老死(老い死にゆくこと)愁い、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みが生起する。

(以上を順観、流転の縁起という。)


又、無明を余りなく滅すれば行の滅あり、行が滅すれば識の滅あり、識が滅すれば名色の滅がある。
名色が滅すれば六処の滅があり、六処が滅すれば触の滅がある。
触が滅すれば受の滅があり、受が滅すれば愛の滅がある。
愛が滅すれば取の滅があり、取が滅すれば有の滅があり、有が滅すれば生の滅があり、生が滅すれば老死、愁い。悲しみ、苦しみ、憂い、悩みが滅する。

(これを逆観・還滅の縁起という)

そのとき世尊は、この意味をとって次の感興話を発した。

 実に禅定につとめ励む修行者にとって、もしもろもろの法が明らかになるとき、かれの疑いはすべて消滅してしまう。あらゆるものには原因がある、という事をさとるから、と。
         (『ヴィナヤ』1・1〜2頁。 『南伝』第3巻1〜2頁)

ここに「無明」という第一支によって「行」があり、「生」によって老死苦ありという第十二支までの系列が示されていたのです。
しかもその十二支は、各支の関係性において示されていたことに気づかされます。
さて、この十二支縁起を簡潔かしますと、「無明によって老死苦があり、無明の滅によって老死苦の滅がある。」という図式になるでしょう。
つまり、私達の生・老死苦は無明によって生じる、という事になるわけですね。
そしてこの無明は「四聖諦に対する無知」(『相応部』3・162〜163頁。『ヴィバンガ』135頁)と見る事が出来るのです。
要するに、四つの真理に対する無知という原因によって、現実の生・老死苦があると言うことを示したのが、十二支縁起の基本姿勢となるのです。

では、一体縁起と言う思想は何を言うのでしょうか。
原始経典には、

 縁起を見る者は法を見る。法を見る者は縁起を見る。(『中部』1・190〜191頁。『南伝』第9巻339頁「大正蔵」第1巻476頁上)

 法を見る者はわれを見る。われを見る者は法を見る。(『相応部』3・120頁。『南伝』第14巻190頁)

と言う、有名な一文が伝承されています。
しかも、この縁起=縁生法は「仏=如来の出世もしくは未出世であれ、常住である」(『相応部』2・25頁。『南伝』第13巻37頁。「大正蔵」第2巻84頁中)というのです。

『相応部』12・第41経に、

 智慧によって聖(とうと)い理法がよく見られ、よく知られるというのはどういう事なのか。
家主(居士)よ。聖い弟子は縁起をよく思惟している。
このように「これあるときかれあり、これなきときかれなし。これ生ずるよりかれ生じ、これ滅するよりかれ滅す。」。
すなわち無明に縁って行あり、行に縁って識あり・・・・・ないし・・・・・(生に縁って老死苦あり)。
このように、すべての苦の蘊(あつまり)の集起がある。
しかし、無明の余りなき離貪・滅より行の滅がある。行の滅より識の滅がある。・・・・・ないし、・・・・・(生の滅より老死苦の滅がある。)
このように、すべての苦の蘊の滅がある。(『相応部』2・70頁。『南伝』第13巻102〜103頁)



ここに見る「これ」と「かれ」とは、実は相関性、相互依存の関係にあることを示しております。
漢訳の「此有故彼有(『大正蔵』第2巻84頁。」は文字通り「これあるからかれあり」と読めるのですが、パーリ聖典の原語では「これあるときかれあり、これなきときかれなし。」で、AgaあるときBがあり、AがないときBはないという図式です。
したがって、縁起とは縁(よ)って生起するということなのです。
これを「因縁法」(『大正蔵』第2巻84頁中)と称するのは、物事には「因」(直接因)と「縁」(間接縁)があって存在するという意味です。
したがって因果論とは区別すべきであります。




十支縁起

前回は十二支縁起についてご説明いたしましたが、今回は十支縁起について簡単にご説明致します。
十支縁起とは、十二支縁起の「無明」と「行」を除いた「識」以下「老死苦」と続く系列を言います。
この系列を説く経典(『相応部』12・第65経「城邑(ナガラ)」。『大正蔵』第2巻80頁中〜81頁上)は、「十支縁起」と「四聖諦」を併せて説いており、かつ、「八正道」を過去仏が歩んだ古仙の道として伝承していた点で特徴ある文献資料です。
その内容は、第1段で十支縁起の順、逆2観を説き、第2段で古仙の道としての「八正道」を述べています。


 この経は「私(世尊」がまださとりを得なかった菩薩であったとき、この老死苦からどうしたら出離できるだろうか、と問いかけ、私はこのように思った。」と言う書き出しで、お釈迦様が弟子達に語るところから始まります。

第一段

 「何があるとき老死があり、何に縁って老死があるのか」と。
私は智慧によって「生があるとき老死があり、生に縁って老死がある。」という事をさとった。
そして順次、有・・・取・・・愛・・・受・・・触・・・六処・・・名色と考え、「何あるとき名色があり、何に縁って名色があるのか。」という事をさとった。___略___

 比丘達よ、そこで私はこう思った。
「この識はここより退き、名色を超えて進むことがない。この限りにおいて老い、生まれ、衰え、死して再生する。
すなわち、この名色に縁って識があり、識に縁って名色がある。
ないし六処・・・触・・・(老死がある。)
このように、すべての苦の蘊(あつまり)が集起するのである。

そのとき私はこう思った。
「何なきとき老死なく、何の滅によって老死の滅があるのか。」と。
私は智慧によって「生なきとき老死なく、生の滅によって老死の滅がある。」とさとった。
・・・ないし・・・「何がなきとき名色なく、何の滅によって名色の滅があるのか。」と。
私は智慧によって「識なきとき名色なく、名色の滅によって識の滅がある。」とさとった。
・・・ないし・・・生の滅より老死の滅がある。
これがすべての苦の蘊の滅であると。___略___


第二段

 比丘達よ。私(世尊)はまた、それ「古人」と同じように過去の正覚者(過去仏)が辿った古道、古径を見いだしたのである。
この古道、古径というのはまさしく八正道、すなわち正見・・・ないし・・・正定である。
私はその道に従って行きながら、老死(苦)を知り、老死(苦)の集起を知り、老死(苦)の滅を知り、老死(苦)の滅に至道を知ったのである。
・・・ないし・・・識を知り、識の集起、識の滅、識の滅に至る道を知ったのである。

                     (『相応部』2・104〜106頁。 「南伝」第13巻150〜155頁)


この経典は釈尊が過去仏の歩んだ古道、古径を辿る中で見いだしたのが「四聖諦」「縁起の法」であると伝承しています。
つまり、縁起の法は見いだしたのであって、作ったのではない、という事です。
そのことは、真理の教えは時、空を超えて普遍的なものである、という事です。
ですから、「この縁起の法は如来の出世、未出世にかかわりなく常住である。」(『相応部』2・25頁。 「大正蔵」第2巻84頁中)と伝承されているのです。
そして、この十支縁起は、これ以外に『長部』第15経「マハーニダーナ経」(漢訳「大因経」。ただしパーリー文には六処を欠く。)や(『長部』第14経「マハーバダーナ経」(漢訳「大本経」)に見られます。

以上、人間にとって何が苦であるかという現実の認識と、その苦は何を原因とし何に縁って生起するか、その苦をどうすれば消滅できるか、という苦の生起と消滅が根幹となって説かれているのです。




二つの観察法

『スッタニパータ(経集)第3章第12経「二種随観経」(岩波本「二種の観察」』は、決まり文句の散文とそれと関連した韻文(偈)を並べる体裁をとり、その内容は「苦」と「苦の滅の観察」に種々の項目をあげた経です。
そこに「四聖諦」と「縁起説」の原型が示されているのですが、その特色は、いわゆる縁起の系列を羅列したものではありません。
ただ、苦の原因として種々の項目をあげていて、それらの詩偈は他の経典、たとえば「相応部」や「増支部」、「小部」の「イティヴッタカ」(如是語)、漢訳「増阿含経」に類似のものがありますが、散文は独自のものです。
ですから、その散文に対する本経の詩偈は古い素材と考えて良いでしょう。
以下、諸項目の中でとくに縁起説に関わるものを列挙して、その内容を考えてみたいと思います。


先ず、「四聖諦を知らない人々は心の解脱、智慧の解脱を欠く」(『スッタニパータ』第724〜725偈)が「四聖諦を知った人々は心の解脱を具現し、智慧の解脱を具現する」(同第726〜727偈)と語り、以下、苦しみが生ずるのは何に縁るか、というひとつの観察と、どうすれば苦しみが生じないか、という第二の観察法で種々の項目を列挙しています。

1、「___略___。『およそ苦しみが生ずるのは、すべて(=生存の)素因(=ウパディ)に縁って起こるのである』というのが、ひとつの観察(法)である。『しかしながら素因が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察(法)である。___略___」。『スッタニパータ』第728偈の前文

2,「___略___。『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起こるのである』というのが、ひとつの観察(法)である。
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが、第二の観察(法)である。___略___。」
 『同』第729偈〜730偈前文

3、「___略___。『およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力(=行)に縁って起こるのである』というのが、ひとつの観察(法)である。『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生じることはない』というのが、第二の観察(法)である。___略___」。『同』第731偈〜733偈前文


4,「___略___。『およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(=識)に縁って起こるのである』というのが、ひとつの観察(法)である。『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生じることはない』というのが、第二の観察(法)である。___略___」。『同』第734偈〜735偈前文

以下簡略

5,苦しみが生ずるのは接触(=触)による(ひとつの観察)。接触が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』736〜737偈前文。

6,苦しみが生ずるのは感受(=受)による(ひとつの観察)。感受が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』738〜739偈前文。


7,苦しみが生ずるのは妄執(愛執=タンハー)による(ひとつの観察)。妄執が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』740〜741偈前文。


8,苦しみが生ずるのは執着(=取)による(ひとつの観察)。執着が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』742〜743偈前文。


9,苦しみが生ずるのは起動(=あくせく。アーランバー)による(ひとつの観察)。起動が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』744〜746偈前文。


10,苦しみが生ずるのは食料(=アーハーラ)による(ひとつの観察)。食料が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』747〜749偈前文。


11,苦しみが生ずるのは「妄執」の動揺(=インジタ)による(ひとつの観察)。動揺が消滅するならば苦しみの生ずることなし(第二の観察)『同』750〜751偈前文。


ここで、問題として浮かび上がってくる観察は「1、」の「ウパディ(生存の素因)」という術語です。
漢訳は「億波提」と音写しているのですが、「依著」存在の基礎と言う意味の言葉です。
『相応部』12.第66経に、


 渇愛(タンハー)を捨離したものはウパディを捨離し、ウパディを捨離したものは苦を捨離す。
苦を捨離したものは生・老死・愁・悲・苦・憂・悩より解脱す。  (『相応部』2.110頁。『南伝』第13巻161頁)


とあります。
あるいは、「ウパディは苦の根本であると了知し、無依処となり、依著を滅することによって解脱する。(『中部』2.260頁』といいます。
そして、「苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執着)をつくってはならない」(『スッタニパータ』第1051偈)とあり、その素因に対して「渇愛(=タンハー)などの依著を因として」と注釈(『バラマッタージョーティカー』U。590頁)している点から、以下の理解が成り立つと思います。

人は生存の基盤、素因があるから執着し、執着するから喜んだり憂うる(『スッタニパータ』第33〜34偈)のです。
したがって、ウパディというのは執着するもとのもの、ということになります。
ですからお釈迦様は「生存の素因を超越し、諸々の煩悩の汚れを滅ぼし」た師(『スッタニパータ』第546偈。『テーラガーター』第840偈)として弟子達から礼拝されたのです。




人間開墾

(南伝 相応部経典 七、一一、耕田。漢訳、雑阿含経、四、一一、耕田)
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「信がわが蒔く種である
 智慧がわが耕す鋤きである
 われは身・口・意において
 日々悪しき業を制する
 そはわが田における除草である
 わが牽く牛は精進にして
 行いて帰ることなく
 おこないて悲しむことなく
 われを安らけき境地に運ぶ
 かくのごとく耕し、かくのごとく種蒔いて
 われは甘美の実を収穫する」



この偈文は、あるバラモン僧の家に托鉢に行かれたお釈迦様に対して、バラモン僧が「沙門よ、私は田を耕し種を蒔いて食を得ています。あなたもまた、自ら田を耕し種を蒔いて食を得てはどうですか。」と言われた言葉への返事です。
このバラモン僧は、現代で言えば「働かざる者、喰うべからず。」と言う事を言いたかったのでしょうね。
でもお釈迦様はこの詰問に対して、このように堂々とお答えになられました。
この言葉の中に、お釈迦様らしいとても味わい深いものを感じさせられます。

インド・ユーローピーアン語族の諸語においては、大地を開墾することと、人間の精神を開発することが、同じ一語をもって表現されるという事があったようです。
例えば英語でもって申しますと「カルティヴェィト」(cyltivate)と言うのは、「大地を開墾する」と言う言葉であるとともに、また「人間の精神を開発する」事を言う言葉でもあります。
あるいは、英語では文化と農業が同じ語源の言葉で語られています。
即ち、文化は「カルチュア」(culture)であり、農業は「アグリカルチュア」(agriculture)であります。
このように、耕作と文化(大地の開墾と人間の開発)が、言語の上で繋がりを持っていると言うのは、決して偶然ではないように思います。
この両者の間には、どうやら同じような基本的構造が潜んでいるように思われてなりません。

田を耕す雑木雑草を取り除き、石ころを取り除き、鍬を入れあるいは鋤きをもって耕さなければなりません。
更に土壌が悪ければ、改良しなければなりません。
灌漑の工夫もしなければならないでしょう。
このように苦労を重ねて、始めて荒れ地が田畑となり、やっとの思いで収穫にありつけるのですね。

同じように、人間も生まれついて自然のままの人間と言うのも決して善美とは申せない存在であると思います。
寧ろ先ほどの「荒れ地」と同じようなものではないでしょうか。
その「人間」と言う荒れ地に、鍬を入れ鋤を入れて良い田畑に転じる事こそ、お釈迦様が述べられた偈分に言い表されているのだと思います。
人間の開墾には、先ず智慧をもって耕され、本来の無知蒙昧を切り開かねばなりません。
そこには「貪欲・瞋恚・愚痴」があり、利己主義があり、転倒或いは残忍性があります。
智慧と言う鋤でこれらを切り開き、見事な美田を作り上げる。
これこそがお釈迦様が伝えたかった事ではないかと思うのです。



人間のありよう

見よ、見守っている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は一人ずつ、屠所に引かれる牛のように、連れ去られる。
(スッタニパータ580)



この世における人々の命は、定相なく、どれだけ生きられるか解らない。傷ましく、短くて苦悩に繋がれている。
生まれたものどもは、死を遁(のが)れる道がない。
老いに達しては、死がくる。
じつに生があるものどもの定めは、このとおりである。
(同574・575)



欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは矢に射られたかのように、悩み苦しむ。
(同767)



妄執を友としている人は、この状態からかの状態へと長い間流転して、輪廻を超えることができない。
         (同740)



人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。
(自己の)所有しているものは常住ではないからである。
この世のものはただ変滅するものである・・・
            (同805)



人が「これはわがものである」と考える物、___それは(その人の)死によって失われる。
われ従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。
                (同806)



見よ。神々ならびに世人は、非我なるものを我と思いなし、〈名称と形態〉(個体)に執着している。「これこそ真理である」と考えている。                 (同756)




ここではお釈迦様が人間をどのように見ていたか、と言う事が解ります。
@人間の存在が苦である。
A欲望・執着・妄執の存在である。
B常なきもの、無常なる存在である。
要約すれば、上の3つに大きく分けられるのが、私達「人間」だと考えているようです。

そして、「苦」と言うと、先ず一番先に私達が思い浮かべるのは身体的苦痛の事ですが、お釈迦様は「楽」も苦しみである、と説かれています。
「苦」とは原語では「ドゥクハ」といい、漢訳で「苦」と訳していますが、「凶」と訳したものもあります。
健康であったものが、病を得て死んで逝く。
財産や子供に恵まれていた者が、戦争や災害などでやがて全てを失ってゆく。
そう言う嘆きを思う時、「苦」よりも「凶」と言う言葉が当てはまるのかもしれません。

楽(=快楽)であろうと、苦(=不快感)であろうと、非苦非楽であろうとも、内的にも外的にも、感受されたものはすべて、「これは苦しみである」と知る。
              (同739)



人々がいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。
壊れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。               (同588)



生も苦しみである。老も苦しみである。病も苦しみである。死も苦しみである。愛さない者と会うことも苦しみである。愛する者と別離することも苦しみである。すべて欲するものを得ないことも苦しみである。要約していうならば、五種の執着の素因(五取蘊)は苦しみである。(___律蔵)


律蔵にあるこの詩が、私達がよく知っている「四苦八苦」を言い表した偈文です。
後には「一切皆苦」として、四法印の中に位置づけられています。

次回はもう少し詳しく、お釈迦様の考えていた「人間像」を探ってゆこうと思います。

    (参考書籍 中村元・田辺祥二 NHKbooks)




心に渦巻く無明の闇

私達の心を衝き動かす根源は、理性でもなく知性でもなく、心の奥底に渦巻いているどす黒い欲望だとお釈迦様は考えておられたようです。

 わたくしは、(索引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。(『スッタニパータ』945)

 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する。____「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と (『同』774)

 この世の人々が、もろもろの生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたくしは見る。
下劣な人々は種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。(『同』776)



このようにお釈迦様は厳しい眼で人間の本質を表しています。
慈悲深い印象の強いお釈迦様ですが、自分をも含めた人間のこのような救いがたい「生き物」に対する厳しい人間観を伺わせる偈文です。
これは成道以前から苦行や禅定を通じて明らかにした人間観であり、お釈迦様自身の深い内省力によるものであったと思われます。

我執、妄執の根源を追求しつづけますと、ついには根本無知ともいうべきものに突き当たります。
その先にはもはや意識は通らない、認識の限界と言う事です。
無意識の闇、カルマの闇と言っても良いと思います。
このヘドロのような世界、これが先述の「欲望の汚泥」と言う表現がでてくる所以なのです。
この汚泥の中に「我執」は深く根ざしており、お釈迦様はそれを「無明」と名付けました。

無明とは、本来智慧のないことであり、目が闇に覆われて、見えるべきものが見えない事を意味し、原始経典では縁起や四つの真理がわからない(真理に無知)ことを言います。
教理敵には上記の通りなのですが、「無明」は教理学の問題ではなく、深く内省と禅定によって洞察された人間存在の根本を表現した言葉と受け止められます。

 修行者たちよ、衆生は、始めのない久遠の昔から、無明に覆われ、渇愛(妄執)に縛られて、流転して輪廻しているその本際は知ることができない。  (南伝大蔵経『相応部経典』15−1)

 ブッダ「皆の衆、このことをどう思うか。四つの大海の水と、今までの長い長い過去生において愛しいものと別れて流した涙と、どちらが多いであろうか。」

 修行僧「世尊よ、わたしたちは世尊の教えによって、かって長い長い過去生に流した涙の量は、四つの大海よりも、もっと多いと知っております。」

 ブッダ「善いかな修行僧たちよ。善いかな。汝らはよくそのことを知っていた。修行僧たちよ、汝らが、母の死にあい、子の死にあい、娘の死にあい、同族の死にあって流した涙は、その長い長い流転輪廻の間に、はかりしれない量となって、四つの大海をもってしても、較べることができないのである。」   (同15ー3)



無明に覆われ、妄執に縛られて流転輪廻して、今日ただいまここに存在している自分とは、いかに深い命の網の目のような繋がりの中で存在していることか。
このように考えると、妄執や無明は単なる個人の問題ではなく、全生物的な広がりをもって繋がっているように感じます。
四つの大海の説法が意味しているものは、「我々は無限の衆生の悲しみの上に存在している。」と言うことになるのではないでしょうか。
それを踏まえた上で、お釈迦様は「妄執」を克服し、執着を離れる事を懇々と説かれているのです。

 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。
それゆえに、人はつねによく気をつけていて、もろもろの欲望を回避せよ。舟のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい激流を渡り、彼岸に到達せよ。 
                   (『スッタニパータ』767・771)


 (神はいった)「世間はなにものによって導かれるのか。なにものによって悩まされるのか。いかなるひとつのものに、一切のものが従属したのであるか。」
 (尊師はいった)「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執というひとつのものに、一切のものが従属した。」    『サンユッタ・ニカーヤ』

 ほしいままのふるまいをする人には愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が果実を探し求めるように、(この世からかの世へと)あちこちさまよう。   
 
 この世において執着のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する。___雨が降ったあとにはビーナラ草がはびこるように。   『ダンマパダ』334・335



ここまでは人間の心のありようを、お釈迦様の視点に立って見てきました。
次回は、この肉体をどのようにお釈迦様が考えていたのかを見てゆきたいと思います。




この身は不浄の皮袋

私達人間は「心」と「身体」によってできています。
前回までは「心」についてのお釈迦様の考えを纏めて参りました。
今回はこの「身体」を、お釈迦様がどういうふうに考えていたのかを纏めてみます。

仏教の目標とするところは、身と心の浄化であり、清浄行はあくまで心身の行であります。
お釈迦様の在世中、どのような行が行われていたかを具体的に知る事はできませんが、正念と正定が中心ではなかったかと思います。
つまり、日常生活を整え、正しい念(おも)いを常に持続し、精神の集中や座禅、瞑想などをしていたのではないでしょうか。
お釈迦様自体は様々な苦行を試みてきましたが、苦行は「悟りには役立たない」として離れられた事は、これまでに述べて参りました。
しかし、苦行による身体観によりこの身は「不浄」なものであることを悟られた事を考えますと、それが決して無駄とは仰っていないのですね。
では、お釈迦様の言葉から、この「身体」に関する詩偈を読んでまいります。

 身体は、骨と筋によってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのままに見ることができない。

 身体は腸に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・膵臓あり、鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

 またその九つの孔からは、つねに不浄物が溢れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、鼻からは鼻汁、口からはあるときは胆汁を吐き、あるときは痰を吐く。全身からは汗と垢を排泄する。

 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄に充ちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

 また身体が死んで臥すときには、膨れて、青黒くなり、墓場に捨てられて、親族もこれを顧みない。  (『スッタニパータ』194−200)


 人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)守られている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。

 このような身体を持ちながら、自分を偉い者だと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは(見る視力がない)という以外の何だろう。   (『スッタニパータ』205−206)


このように、お釈迦様は身体を事細かに観察し、その不浄なる実情をしっかりと把握して執着から離れようとするのです。
しかし、仏教が肉体を不浄のものと観るのは執着を断たんが為の方法であって、身体を苛んだり傷つけたりすることを意図しているわけではありません。
それを知ったからこそ、お釈迦様は苦行を離れたのです。

ここに書かれてある詩偈には、私達の身体が如何に不浄で、執着するに値しないものであるかを示しておられますが、それにしても厳しい言葉で述べられております。
汚いものを汚いと観、愚かなものを愚かと見なすところから、私達は清らかなものを希う心が生じてくるのですね。

次回は、こうして身を不浄と観たお釈迦様による、死の超越、死からの解放に関しての詩偈を中心に見てゆきたいと思います。



妄執からの解放

これまで、心とこの身体のありようを述べて参りました。
妄執にとらわれた心と不浄なこの身体を、お釈迦様は直視する事で「人間」というものの実情を表され、そこから解放される事の大切さを懇々と説かれています。
では、その解放の方法については、どのように説かれているのかを、今回は学んでゆきたいと思います。

ここに弟子メッタグーとの対話をご紹介致します。

 「先生!あなたにおたずねします。このことを私に説いて下さい。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だと私は考えます。世の中にある種々様々なこれらの苦しみは、そもそもどこから現れ出たのですか。」

師(ブッダ)は答えた。
 「メッタグーよ。そなたは、私に苦しみの生起するもとを問うた。私は知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。・・・苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執着)をつくってはならない。」
                 『スッタニパータ』1049〜1051


メッタグーは苦しみの原因は何かとお釈迦様にたずねています。
その問いに対するお釈迦様の答えはいたって明快です。
「それは執着を縁として生起する。」と仰っているのですね。


もうひとつ、別の弟子がお釈迦様に問いかけています。

 「聖者さま、妄執を滅しつくす法を私にお説き下さい。それを知ってよく気をつけて行い、世間の執着を乗り越えましょう。」

(ブッダが答えた)
 「ヘーマカよ、この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。」
                 『スッタニパータ』1084〜1086



ヘーマカは妄執を滅する方法をお釈迦様に問いかけていますが、お釈迦様の答えはこの世の多くの人々が抱いている価値観とは全く反対の事を述べています。
つまり、人々は見たり聞いたり識別したりして、それらによって快感を得て価値としています。
しかし、お釈迦様はそうした快感は、貪りを起こさしめ、欲望を増大して執着するが故に、それらを除去せよ、と教えています。
これは我々普通人にとって極めて難しい事であります。
何故なら、私達は無意識のうちに執着してしまうからです。
これまでにも出て参りましたが、お釈迦様は以前に「眼、耳、鼻、舌、身、意の耽溺」について説法された事があります。

「眼を縁として快楽と喜悦が起こること、これが眼の耽溺であり、眼の煩いである。」と言う
内容でした。「耳・・・鼻・・・舌・・・身・・・意・・・も以下同じ」


これに似た説法で「燃える火の教え」があります。
「眼は燃えている・・・耳は燃えている・・・鼻は燃えている・・・」と言う鮮烈なる教えです。
このように、すべては欲望の火によって、嫌悪の火によって、迷いの火によって燃えているという教えなのですが、お釈迦様は決して人間の五官を否定しているわけではありません。
「欲望や貪りや迷いは、五官によって生起するものであるから気をつけよ。」と、あくまでも執着を排除するように仰っているのです。




老いと死を超越する

ここに切実なる問いかけがあります。

学生カッパの問い

 「極めて恐ろしい激流が到来したときに、一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、州(しま=拠り所・避難所)を説いて下さい。あなたはこの(苦しみ)がまたと起こらないような州をわたくしに示して下さい。親しき方よ。」
師(ブッダ)は答えた。
 「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しの中にある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための州を、わたくしはそなたに説くであろう。
いかなる所有もなく、執着してとることがないこと、____これが州にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
                    『スッタニパータ』1092ー1094


インドの雨期には多くの河川が氾濫します。
そのような時に人々が避難するのは川の中州であったようです。
これを人間の心の拠り所としての比喩に、「州」と言う言葉はよく使われています。
カッパの質問に対してお釈迦様はずばり、「無所有と無執着」と答えています。
無所有とは、「我がものと言う思いのない事。」
無執着は「はからいやとらわれのない事。」
これがニルヴァーナであり、老衰と死の消滅であると言うのです。

肉体や心を「我がもの」と思い執着すると、老衰が実体化し、死が存在することになります。
「我」がなくなり、我がものと思う事もなくなると、「我」が存在しないのですから「老衰」や「死」も存在しない事になります。

更に次の学生の問いに対するお釈迦様の言葉を見てみましょう。

修業学生ピンギヤの問い

 「わたくしは年をとったし、力もなく、容貌も衰えています。眼もはっきりしませんし、耳もよく聞こえません。
わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにして下さい。_______________どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いて下さい。それをわたくしは知りたいのです。」
                           『スッタニパータ』1120


老学生ピンギヤのこの問いかけは切実であると言わねばなりません。
老いの苦しみと、死なねばならない苦しみに苛まれた彼のこの問いかけは、万人共通の苦しみであるとも言えます。
そこでお釈迦様はどのような言葉を彼に与えられたのでしょう。
 「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害なわれるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ、それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」
                            同 1121


ピンギヤは老衰してゆく自分の肉体にしがみついています。
その点を、お釈迦様は指摘なさっていらっしゃるのです。
物質的形態である肉体、その肉体を「自分のもの」と思い込んでいる幻想を捨てよ、と仰っているのですね。
でも、その言葉だけではピンギヤは納得できなかったのか、更に同じ質問を繰り返します。
そこでお釈迦様は改めてこう答えられました。

ピンギヤよ。人々は妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
                    同  1123


又、別の弟子であるモーガラージャの問いの答えの中にも、ピンギヤの切実な苦悩に対する答えがあります。
 
 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、(死の王)は見ることがない。」
                      同   1119


老いる事、死ぬ事への恐れは、現在も2500年昔も変わりません。
だれもが、これらの苦しみから解放されたいと願っています。
それは「自我」から生じる思いなのですね。
人々は「自我」が存在するものと思っています。
しかし、この自我は妄執によって仮構されたものであって、仮に存在しているに過ぎないものなのです。
「自我とは仮に存在するもの、と見破って、自我への執着を離れよ、そうすれば世界は『空』なりと観ることができ、それによって死を乗り越えることができる。」とお釈迦様は説いておられるのです。




アートマンの意味を考える

人間存在は苦である、と言うのは皆様もご理解頂けると思いますが、では何故人間は苦しむのかと考えると、それは「常ならざるもの(無常)であるから苦しむのでしたね。
別な角度から考えてみると、それは
「我ならざるもの(非我)」を「我(アートマン)」とみなすところから生じる苦しみであると、お釈迦様は説いておられます。
元々、自己に属さないものなのに、自己に属していると思い込み、錯覚している。
その報いとして、私達は苦しまなければならないわけなのです。

原始仏教の時代においては「我(アートマン)にあらざるもの」、つまり「非我」に関する記述が多く見られます。
「我(アートマン)は存在しない」つまり、「無我」が説かれ、仏教を無我説として特徴づけるのは、時代がかなり後になっての事です。
非我も無我も、ブッダの時代には一体として説かれていたものが、時代が経つに連れて微妙なニュアンスの違いが生じ、日本において「無我」と言う言葉は、「我無し、=自己が全て無くなる」と誤解されて受け止められているようです。

本来「アートマン」とは、ウパニシャッド哲学で最も重要視される言葉であって、それは「自己の根本」を意味し、又、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と一体であることを説いています。
「アートマン」と言う言葉は元は「呼吸」の意味で、インド・ヨーロッパ語のひとつであるドイツ語では、呼吸することを「アートメン」と今日でも言い表しております。
それが生命のもとであり、生命の働きであり、生気という意味を持つことから、「本性・精髄・霊魂・自己」を表す言葉になりました。
この言葉を中国で「我」と訳しましたので、日本においては「我を張る」とか「我が強い」とか「我を通す」などと、本来のアートマンの意味とは違った受け止め方をしているようです。
従って、日本語においては「アートマン」を「我」と受け取るよりは、「自身」とか「自己」と訳した方が、原始仏典の意味としては近いように思います。


お釈迦様は、自己にあらざるものを自己と見ることによって、苦しみが生じると説きました。
つまり、
自己にあらざるものを、自己の所有とみなす事。
自己には常住不変の実体があるとみなす事。
自己の本質というものがあるとみなす事。

これらを否定することが、「非我」の内容であったと考えられます。

 色(物質的なかたち)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。正しい智慧でもってこの「道理」を如実にすべし。
                        『サンユッタ・ニカーヤ』


この説法は「色」の他に「受(感覚)・相(表象)・行(意志)・識(意識)についても同じように繰り返されています。
この一説は大変重要で、ここにブッダが考えておられる「非我」が理解できるのです。

色は無常で、無常であれば苦しみである。
苦しみであれば、これは非我である。
要するに、思い通りにならない事が苦しみであるならば、その思い通りにならないことがどうして自分の本性であり、実体であると言えるか、と言う事なのですね。
そして、非我であるものはわがものではなく、われではなく、わがアートマンではないと説かれています。
これらの事から理解すれば、「自己は存在せず」と自己そのものの否定ではなく、「自己の所有」、「常住不変の実体」、「常住不変の自己の本質」というものを否定していたのだと理解することができます。

この辺の事をしっかり理解していないと、お釈迦様が本当に伝えたかった事が正確に伝わらない恐れもあると言う事なのですね。




非我の内容

色は(物質的形態)は無常である。
無常であるものは苦しみである。
苦しみであるものは非我である。
非我であるものはわがものではない。
これはわれではない。
これはわがアートマンではない。
正しい智慧でもってこの〈道理〉を如実に観ずべし。


原始仏典の中でも、最も古い層に説かれている「非我」の説明には、先ず何ものかを「わがもの」「わが所有するもの」とする考え方を排斥しています。

あるとき、ブッダのもとへ、十四頭の牛を失って探しているバラモンがやってきました。
ブッダを見てバラモンは「この修行者には、所有というものがないので、十四頭の牛を探して六日にもなるのに見つける事ができないで困っている苦しみはない。この修行者は幸せである。この修行者には、穀物倉が空になってねずみの運動場になってしまう、という苦しみはない。だからこの修行者は幸せである。」と。
ブッダは答えて言いました。
「バラモンよ。わたくしには〈十四頭の牡牛を失って今日までに六日になるけれども見いだされない〉ということはない。だからわたくしは幸せである・・・。
バラモンよ。わたくしには〈朝早くから借金取りが来て「返せ」「返せ」と責め立てる〉ということはない。だからわたくしは幸せである。
          『サンユッタ・ニカーヤ』


「もの」を所有するという事は、その「もの」が永遠であることを願い、失う事に対する不安や憂いを感じ、それらが原因で私達は苦しまなければならない、という事です。
勿論、この私達の肉体も同じ事で、いつまでも若くありたいとか、いつまでも元気でいたい、とか願っていますが、「無常」であるこの世間において、このような願いは叶えられません。
言うならば、この肉体自体も「苦」の根源であると言えます。
何故苦しむか、と言えば、「これはわがもの」と言う誤った見方をして、「執着」しているからなのですね。

なにものかを〉わがものであると執着して、動揺している人々を見よ。〈かれらのありさまは〉ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ーーーもろもろの生存に対して執着することなしに。
            『スッタニパータ』777偈


「これがわがものである」また「これは他人のものである」というような思いがなにも存在しない人。ーーーかれは〈このような〉《わがものという観念》が存しないから、「われになし」といって悲しむことはない。
             同 951偈


このように「わがもの」と見なす執着を離れ、一切の所有を捨て去るという考え方は、極めて古い時代からバラモン教においても行われていました。
一切の所有物を捨て去り、山林に隠棲することは、ヴェーダ聖典に規定されていたり、初期の「ウパニシャッド」ジャイナ教の「アーヤランガ」などにもその片鱗を窺う事ができます。

人間は自己の生存欲を中核として自己意識を構築し、それによって自己流の世界を造出しながら生きています。
この世界像の中に住している限り、利己的で排他的な自己であります。
この自己の我執を「自己」といい、「孤独な自己」と言います。
ブッダは、この「孤独な自己」を排除することを求めているのです。
そのうちで、最も深い本質的な執着心。
執着心の中でも、最も根が深い「所有欲」。
これらから解放されるには、とても大きな努力が必要であるからこそ、ブッダは繰り返し繰り返し、「わがものはなし」と、説かれているのです。




身体への執着

所有欲と共に人間の執着の強力なものに、身体への執着があります。
私達は「自己(アートマン)」とは何かと考える時、直ちに思い浮かべるのはこの肉体と肉体をコントロールしている精神を思い浮かべるのではないでしょうか。
最近の科学と称する「還元論」や「唯物論」では、精神もまた脳の活動であるから、結局すべては肉体に集約して考えられます。
そうすれば「自己」とは「身体」の事となり、「身体」をもって「アートマン」とする考え方に行き着いてしまいます。
お釈迦様は肉体を否定してはいません。
しかし、肉体がある、それがアートマンであるとして執着することを排除せよ、と説かれているのです。

尊師曰く
「刀が体に刺さっている場合に、(刀を抜き去る)ように、
(ターバンを巻いた)頭(髪)に火がついている場合に(急いで火を消そうと努める)ように、
(自身ありという見解)を捨て去るために、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。
             『サンユッタ・ニカーヤ』

洞窟(身体)のうちにとどまり、執着し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人。___このような人は、じつは(遠ざかり離れること)「厭離」から遠く隔たっている。
じつに世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。
             『スッタニパータ』772偈



身体=我々のアートマン、という思想はとても根深く、唯物論者のみならず、多くの一般人もまたこの見解をとっているように思います。
この見解は一見、論理的に見えますが、自己の身体に対する微妙な執着を持っています。
これを初期の仏教では「自己の身体に執着する見解」と呼んでいます。
仏教はあくまで苦の克服を目指す実践哲学ですから、苦の克服には執着する心を先ず断たねばなりません。
しかし、肉体に対する執着心の根深さを自覚すればするほど、生存への妄執の自覚も深まります。
これが「清浄行」の実践へと繋がる強いバネとなって、八正道の実践を目指す事になるのです。

今回は中村元・田辺祥二著「ブッダの人と思想」から抜粋しました。




真の自己を求めて

お釈迦様は人間存在を「我に非ず」として全て否定したわけではありません。
「主体」としての自己の存在は積極的に肯定しています。
ここで言う「自己」とは「アートマン」の事で、理想的・論理的主体の「自己」と言う事です。
この自己は、心を浄化し、制御してゆく事で妄執や煩悩と言う迷いを超え、法による論理的主体として確立したものであり、これこそ「非我(無我)」であると説かれています。

心のなかでどの方向を探し求めてみても、自分よりもさらに愛しいものはどこにも見いださなかった。
そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。
それゆえに、自己を愛する人は、他人を害してはならない。」


お釈迦様でさえ、自分が一番愛しいと思われていたのです。
その「愛しさ」は、内へ向けられるのではなく、お釈迦様は外へも向けられ、「自分を愛しいと思うものは、他人を害してはならない。」と教えられています。
こうして心を浄化し、制御してゆく事で顕れてくる自己こそ、「真の自己=アートマン」と言う事ではないでしょうか。
心を浄化し、制御して煩悩や妄執から守るには、日常生活の中における「つとめ」が不可欠であることは言うまでもありません。

自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、賢者は自己を制している。   『スッタニパータ』216

自己を制する為の「つとめ」に、年齢は関係ありません。
男女の区別もありません。
悟りを得た者であっても、死ぬまで「つとめ」を怠る事は許されません。
「真の自己」を求め続ける事こそ、私達がこの世に命を得た最大の意義であると考えます。




】無我の理法

今回は、「自己」に対するお釈迦様の考えを探ってまいりましょう。
ここに自己について述べられている経典の部分を取り出してみます。

 
 愚かで智慧のない人は自己に対して仇敵のごとくふるまう
          「サンユッタ・ニカーヤ」

 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。
         「ダンマパダ 166」

 善からぬこと、己のためにならぬことは、なしやすい。
ためになること、善いことは、じつにきわめてなしがたい。
          「ダンマパダ 163」

 自己を護る人は他の自己をも護る。それゆえに自己を護れかし。(しからば)かれはつねに損ぜられることなく、賢者である。        「アングッタラ・ニカーヤ」


こうした自己についての説法だけを見てゆくと、無我説を説いた人の言葉とは程遠く感じられます。
しかし、実はこれが無我説の真意であり、内容であるのです。
つまり、我執の中核(コア)を挫いてみてゆくと、当然人格の変容を体験することになります。
そうなった時、今まで「自己」だと観じていたものは「仮り」のものであった事が解ってきます。
私達人間は分別心があるために、どうしても仮構された世界に生きており、その仮構された世界が現実であると錯覚しているのです。
例えば、空腹の時に石ころでも饅頭に見える、と言う道理なのです。
だけど、次第にものが正しく見えるようになれば、他人の気持ちがわかるようになり、慈しみの心が深くなってまいります。

要するに、我執が崩れ始めると外境や他者と素通しとなり、自然に世界を受け容れ、愛するようになってくる、と言う事なのです。
利己的自己を挫けば、自己のアイデンティティー(独自性)が消滅すると思いがちですが、実際はその反対であって、利己の中には独自性など元々ありません。
人間的な癖があるのみです。

さらに非我(無我)は、それを体得することによって死の恐怖が薄れてゆきます。
すなわち、利己心の中核を挫けば死すべき「自己」は消滅します。
自己がいないのだから、死の恐怖に怯えるものもなくなると言う事なのですね。
仮りの存在である自己を打ち砕けば死すべき自己は存在しない。
それは「生死」の消滅で、これを「無我の理法」と言います。




【33】自己こそ自己の主であれかし

今回は「自己こそ自己の主」になるべく、どのようにすればそれが実現するか、と言う事を考えてゆきたいと思います。
これまでにも述べて参りましたが、自己の主となる自己を構築する事こそが、この世へ生を受けたそもそもの目的ではないかと思うのです。
確かに子孫を残す事も大切な役目ではありますが、それ以上に「自己浄化」「自己制禦」の道を実践する事は重要であると考えます。

私達は日常生活において、自己を妄執や様々な束縛から護らなければなりません。

 自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。
かれは他人に悩まされることなく、また何ぴとも悩まさない。
もろもろの賢者は、かれを《聖者》であると知る。
               「スッタニパータ」216

 修行僧よ、この舟から水を汲み出せ。汝が水を汲み出したならば、舟は軽やかにやすやすと進むであろう。
貪りと怒りを断ったならば、汝は安らぎ《ニルヴァーナ》におもむくであろう。
               「ダンマパダ」369

 明らかな知慧のないひとには精神の安定統一がない。
精神の安定統一がないひとには明らかな知慧がない。
精神の安定と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでに安らぎ《ニルヴァーナ》の近くにいる。
               「同」372


このように、原始経典の言葉は深遠な事を難しく説くことはありません。
自己を護り、自己を慎んで清浄行を実践し続ける事。
これが、お釈迦様の説かれている「無我実現」の道なのです。

人間の内には、克服されるべき煩悩の自己《仮構された自己》と、護り育てられるべき自己《浄化された自己〈無我〉》とが共存していると考えて良いと思います。
しかし、これは本来ひとつの自己であって、仮構された自己を挫けば自ずと無我は実現するものであると考えられます。
ただ、煩悩の自己は簡単に浄化する事ができないものであるから、私達は努めはげみ続ける事が非常に求められているわけなのです。
その困難さは、

 戦場において百万人に勝つよりも、ただ一つの自己に勝つ者こそ、じつは最上の勝利者である。
              「ダンマパダ」103
と喩えられています。

あるいは

 自己に打ち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行いをつつしみ、自己を整えている人、_____
このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ《天の伎楽神》も、悪魔も、梵天もなすことはできない。           「同」104


 自己こそ自分の主である。他人がどうして《自分の》主であろうか。自己をよく整えたならば、得がたき主を得る。
             「同」160


と、自己を主とするべく戦うことを称賛されています。

このように理想的な倫理的主体としての自己《アートマン》を認め、自己浄化によって現実の苦なる人生を越えていこうと言うのが、最初期の仏教者の目標であり、その為に様々な努力を積み重ねてきました。
これは実践によって実現されるもので、アートマンを決して形而上学的な実体と見なすことはありませんでした。

このように、非我(無我)の教説は、お釈迦様の最も中心的な法理であり、煩悩や妄執を越えて、法(ダンマ)による倫理的主体としての自己こそ、非我(無我)の当体であると考えていたのです。

人間の奥深く根をおろしている我執を、自己浄化することで離れてゆくことができれば、そこには解放された自由な自己が現れます。
拘りでがんじがらめに束縛されていた自己から、開かれた自己への転換が成し遂げられるのです。
これを人間関係でいうならば、他人との争いや対立から離れることになり、更に相手に対する同情心や共感となって現れてきます。
「人間における〈我がもの〉という観念を捨てて、心を統一しあわれみ〈カルナー〉に専念する。《ディーガ・ニカーヤ》」と仏典では述べられています。
「我がもの」と言う我執を離れると、自然に利己心が減少しますので、自然と精神的な面で、他者と相通じる感情の交流が成立するのです。
そして、そこから人間の様々な美質が湧いてくるのですね。

次回はその人間の美質に関してお話しさせて頂きます。




慈悲

人間の美質のなかでも、最も純粋なものが「慈悲」であります。
以前にも会報で言葉の語源を説明させて頂きましたが、再度簡単に述べさせて頂きますと、慈と悲は元々別個の言葉でありました。
慈はパーリー語では「メッター」と言い、サンスクリット語では「マイトリー」と言います。
悲は両方とも「カルナー」です。
マイトリーの元々の意味は「友」とか「親しいもの」を意味する「ミトラ」からの派生語であり「真実の友情」とか「純粋な親愛の情」をさします。
「カルナー」は、同情や哀憐を意味しております。

南方の上座仏教においては、慈とは「同朋に利益と安楽をもたらそうと望む」事であり、悲は「同朋から不利益と苦しみを除去しょうと望む」事であると解釈されています。
これは北回りの仏教においても「苦しみを抜き、楽を与える=抜苦与楽」として受け止められています。
2〜3世紀のインドの人で、ナーガールジュナ(龍樹菩薩)と言う人が著した「大智度論」には、

大慈とは一切の衆生に楽を与え、大悲とは一切の衆生のために苦を抜く。大慈は喜楽の因縁を衆生に与え、大悲は離苦の因縁を衆生に与う。

と書かれております。
この考えは更に2世紀ほど後のヴァスパンドゥ(世親=天親菩薩)にも受け継がれ、その著作「十地経論」にも同じような事が述べられております。

「慈とは同じく喜楽の因果を与うるがゆえないり。悲とは同じく憂苦の因果を抜くがゆえなり・・・十地経論」

慈と悲の二つの言葉は、心情的には同一の心から発しているので、区別がなくなり、「慈悲」として一つの言葉で受け継がれてきました。
原始仏典にある「スッタニパータ」の中には、「慈しみの経」として独立した部分が見られます。

 空極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。
能力あり、直く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思いあがることのない者であらねばならぬ。
足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、もろもろの感官が静まり。聡明で高ぶることなく、もろもろの(人の)家で貪ることがない。
他の識者の避難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安楽であれ。

          「スッタニパータ 」 143〜145


ここに書かれてある前半の部分は「無欲」であれ、と説かれています。
強欲では慈悲は行じ得ないと言う事です。
八正道にある「正しい生活=正命」というのは、このように知足の心で過ごす簡素な生活の事でありましょう。
この簡素な生活こそ「清浄行」の基本であると考えられます。

知足の心で無欲になり、そして簡素な生活の中に身を委ねた時、自分と他者の隔たりもなくなり、自然と慈悲心が湧き上がる。
これが、人間が備わっている美質の中で最も純粋且つ尊いものであります。




共に生きる喜び

一切の生きとし生けるもの(=すべての人々)は、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
   「スッタニパータ」第145偈後半


仏陀の、この万物への思いやりの心は、いつの時代、いずれの場所にあっても、人間が共生する上でとても大切な心情であろうと思います。
現代社会において、本当に孤独に成りうる事は非常に困難な環境であるにも関わらず、孤独感を感じる人がとても多いように思います。
それは、心と心が通い合う、本当に人間らしい付き合い方が出来なくなってきているのが原因ではないでしょうか。

昔の子育ては、両親や祖父母といった身内ばかりではなく、近所の人達や学校の先生方など、もっと親身になって考えてくれる人が沢山いたように思います。

子供同士で喧嘩していたら、見知らぬおばさんに「そんな性悪したらアカンで!!」なんて叱られたり、塀に落書きをしている子供を見たら「落書きなんかしたらアカン!!ちゃんと元通りに消しときよ!」とか言って、消すまで睨まれた事もありました。
悪戯が過ぎて頑固じいさんにゲンコツを貰った子もいましたっけ(笑)
今の時代、よその子供を叱るとか、ゲンコツを食らわせるなんて事をしたら、親が怒鳴り込んで来て大変です。
ゲンコツが警察沙汰にも成りかねません。
結局、他人の子供はどんなに悪戯しようと、見て見ぬ振りをしなければならなくなってしまって、真剣に叱る者がいない分、子供は好き勝手な事をしている。
それが、どんどん増長してゆけば、どんな事になるか・・・
考えただけでも恐ろしくなります。
そう言う恐ろしい状況が、現代社会における犯罪の低年齢化の一因にもなっているように思うのです。

幼い頃から、色んな人達と触れ合い、色んな生きものに接して自分以外のものへ「思いやる」心を育てる事は、人間としてとても重要な教育であるはずです。
その重要な部分が、現代社会においては欠けてしまっている、と言っても過言ではないように思います。

お祖父さんやお祖母さんの姿を目の当たりにして、日に日に老い、弱ってゆく自然の摂理を知り、ペットと言う自分よりも弱い存在に接する事などから、子供は暖かい思いやり溢れた優しい心を育んでゆくのではないかと思います。
生きとし生けるものと、共に生きる喜びを知る。
それは、個々人で知る喜びよりも、はるかに尊い、大きな喜びである事を知って欲しいと思います。




不共業

この世における人々の命は、定まった相(すがた)なく、どれだけ生きられるか解らない。
惨(いた)ましく、短くて、苦悩をともなっている。
      「スッタニパータ」第574偈


人の一生は様々ですが、どのような人生においても喜怒哀楽、悲喜交錯の連続であると思います。
そのような人生の中に幸せを感じる事は難しい、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「幸せとは遠くにあるものではない」事に気づくと、それほど難しいものではありません。
何事に対しても「感謝」の気持を持てる人は、それだけ幸せな人生を送っていると言えるのではないでしょうか。
逆に、何においても不平や不満しか感じない人は、それだけで不幸せな人生であると思います。


私達は日々、身・口・意(三業)の行いによって生活をしております。
それらの行為の果報は、必ず自分自身に返って参ります。
これは古来より「自業自得」と言われて、善行には善果が、悪行には悪果がついてくるのです。
この「善因善果・悪因悪果」の考え方が因果応報の思想として定着してきました。
それぞれの人にはそれぞれの生き様があり、その行為と果報はその人自身のもので、決して他者と共通するものではありません。
これを「不共業(ふぐうごう)」と呼んでいます。

しかし後世のアビダルマ仏教においては、この「不共業」に対して「共業(ぐうごう)」と云う考え方もでて参りました。
これは「万人に共通する業」を顕しています。
この背景には、「人間をとりまく自然・環境・山河大地の国土世間(器世間)と、人間世界(有情世間)」という捉え方があるようです。

この共業思想によって、私達一人一人の行為は個々の問題でありながら、尚かつ共同体の一員としてこの娑婆世間に生きている限り、どうしても社会との関わりを無視できない存在であると言えるでしょう。
例えば、一企業の自利を目的とした行為によって、環境が汚染(器世間の汚染)されれば、万人に「共業」として返って参ります。

現代社会においては「不共業」と共に、「共業」に関する意識ももっと高められねばならないと痛切に感じております。




善き友とともに

すべての束縛を断ちきり、怖れることなく、執着を超越して、とらわれることのない人・・・かれを私はバラモンと呼ぶ。

怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人・・・かれを私はバラモンと呼ぶ。

熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と・・・これによって〈バラモン〉となる。
これが最上のバラモンの境地である。

   「スッタニパータ」



お釈迦様の教えは、特別な知識や学問を教える事ではありませんでしたから、「ウパニシャッド」の哲学を学ぶような「弟子」という観念はなかったように思います。
お釈迦様の周りに集まった初期の入門者は、同じ道を歩む仲間であり、善き友と言われる人達でありました。
お釈迦様の目から見る人々は、上下関係ではなく、常に並行的な存在であったと言えるでしょう。

従って、お釈迦様自身は新しい宗教を興した開祖としての意識も持っていなかったので、当時のインドバラモン教と論争したり、対立するような事もありませんでした。
寧ろ、上記の詩偈に見られるように、バラモン教の真のあり方は何か、と真剣に考えられ、説かれていたように思えます。

サビヤよ、みずから道を修して完全な安らぎに達し、疑いを越え、生存と衰滅とを捨て、〈清らかな行い〉に安立して、迷いの世の再生を滅ぼしつくした人・・・かれが〈修行僧〉である。

     「スッタニパータ 514偈」
ナンダよ、世の中で、真理に達した人達は〈哲学的〉見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。
〈煩悩の魔〉軍を突破して、苦悩なく、望むことなく行う人々・・・かれらこそ聖者である、と私は言う。
     「スッタニパータ 1078偈」



このように、お釈迦様は煩悩の魔軍を撃ち砕いて、清浄の世界に出よ、と説いております。
つまり、努め励む事を強調して、その努め励む場こそが「善き友の共同体(サンガ)」だと教えているのですね。

ある時、阿難がお釈迦様に尋ねました。
「尊師よ、善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近いことではありませんか。」
お釈迦様は仰いました。
「阿難よ、そうではない。そうではない。
善き友を持つこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。
善き友の修行僧については、次のことを期待することができる。
善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている修行僧ならば、「八つの正しい道」を修めることになるであろう。
そういて「八つの正しい道」を盛んにならしめるであろう。
     「サンユッタ・ニカーヤ」


このようにお釈迦様は、善き友、善き仲間と共にある修行僧は、煩悩や欲情を離れ、止滅に導く「八つの正しい道」を修めて、解脱を成就することが可能となる。
故に、善き友と共にあることは、清浄行の全てであると仰っています。

これは、後に仏・法・僧の三宝に対する信仰が定着してきますが、その萌芽がこの辺りにあるのではないかと思われます。




戒律の意味

お釈迦様が、初転法輪において五人の修行者を導いたこの時、仏教の教団ができたと言えるでしょう。
その後も時が経つにつれて、教団には次々と入門僧が増えてゆき、しだいに大きな集団へとなってゆき、その後時代が下ると、この集団を「僧伽(そうぎゃ・さんが)」と固有名詞化して呼ぶようになりました。
「サンガ」とは元々「集団」「集会」「会議」などを意味しておりましたが、それが「組合(ギルド)」とか、政治上の「共和国」を意味するようになりました。
そして、それらの様式が教団に取り入れられるようになってきました。
いわば、仏教教団は今日で言うところの「民主主義」的な教団でありました。
これはお釈迦様の性格に深く依拠しているものと言えるでしょう。
要するに、初期の仏教教団では、あるカリスマ性を持った一人の権力者が集団を統制すると言った性質の集団ではなかったと言う事です。
お釈迦様が説かれる法は身分や貧富などに関係なく、広く全ての人々に対して開かれておりました。
ただ、入門したときからの年数が、老幼の序といったものの規律であったと言えます。
これを「法臘(ほうろう)」と言います。

ここに興味深いお話がありますのでご紹介致します。

ある旅行中でのこと、お釈迦様と弟子達の一行は夕方になったので宿をとる事になりました。
そのとき、宿舎に早く着いた者が部屋の場所を確保し、長老であるサーリープッタの場所が無くなってしまい、彼は一本の木の根元に夜を明かさなければなりませんでした。
その事情を後で聞かれたお釈迦様は、法臘によって先達比丘に礼をつくさねばならないと説教し、それが規則の始まりとなったと言われています。


このような、教団の運営上必要な規則を「律」と言います。
一般的には「戒律」と言う言葉が使われていますが、「戒」はシーラと言って、本来の意味は「性質」とか「たち」の意味でありましたが、後に「戒め」「慎み」の意味となりました。
つまり、「戒」とは自分自身に対する道徳的規律であり、自主的行動基準と言うべきものです。
また、「律」はヴィナヤと言って、教団の秩序を守る為の規則の事で、出家者のみに適用されるものでありました。
このように、「戒」と「律」は意味が異なっているのですが、出家者にとっては「律」を守ろうとするのが「戒」となりますので、「戒」と「律」を切り離して考えられなかったのですね。
それで「戒律」と言う言葉が出てきました。

最初期の集団では、お釈迦様への信頼と尊敬の念だけで何とか秩序を保たれていた教団ですが、次第に教えが広まり教団が膨れあがってゆくにつれて、様々な規律や実践すべき徳目などが自ずと生まれてまいりました。
後の時代になると、男性の僧で227箇条、尼僧では311箇条の規律が定められていたと、パーリー文の「律蔵」には書かれています。

考えてみれば、お釈迦様が説かれる清浄行を実践しているなら、戒律など必要の無いものなのですが、どうして後世これ程多くの戒律が出てきたのでしょう。
この問いに対しては、「戒律」をどう受け止めるか、と言う事で大変変わってまいります。
戒律をただ単に禁止事項として受け止めるならば、消極的な戒律主義の集団に堕落してしまいます。
これはお釈迦様の教えに反する、まったくもって愚か極まりない考え方ではないでしょうか。
本来戒律とは、自分自身への努力目標と受け止め、その一瞬一瞬気を抜かず、我々が過ちを犯すかもしれない一つ一つの事柄に対して不断に気をつかって注意する、その為の指針であり注意を喚起するものであると思います。

>この世では、戒めをこそよく守るべきである。戒めを実行するならば、あらゆる幸運をもたらすからである。

戒めを守る人は、自ら制するために、多くの友を得る。
しかるに戒めを犯す人は、悪事を行って多くの友から疎んぜられる。

戒めは、もろもろの善い事がらの始まりであり、根底であり、根源であり、あらゆる徳のうちの主要なものである。それゆえに、戒めを浄くせよ。

戒めこそ、この世で最上のものである。また知慧ある人は最上である___人間と神々の間では、戒めと知慧とを具えているならば、勝利を得るのであるから。

   「テーラーガーター」608、610,612,619





不放逸の教え

相応部経典の譬喩相応に次のような部分があります。

仏陀 「修行僧たちよ。たとえば弓術に巧みな練達の弓術師が四人、東西南北の四方に立っていたとしょう。
そこへ一人の男がやってきて、『四人がそれぞれ四方へ向かって矢を射てください。そうすれば私がそれぞれの矢が大地に落ちる前に全てつかまえてごらんに入れましょう。』と言ったとする。
君たちはどう思うか、この人は大変敏捷な人と言わねばならないだろう。」

修行僧 「世尊よ、ひとりの弓術師の射た矢さえ大地に落ちる前につかまえたとしても大変な早さなのに、それも四人となれば最早その速さは申すまでもございません。」

仏陀 「修行僧たちよ、その男よりももっと速いのが日月の運行である。そして、その日月が天を走るよりさらに速いのが、人の寿命の消滅する速さである。このように考えて、我等は努め励まなければならない。」



とても解りやすい譬喩ですね。
この教えは「不放逸の教え」または、「無常迅速の教え」と言われています。
お釈迦様はこのように、人間の寿命が消滅する事の速さを他人事として捉えていたのではなく、自分も限りある命を持つ一人の人間として悩み、考え、その結果不放逸にならざるを得ない心境になられたのではないでしょうか。

人の一生を終えるのは、矢を射るよりも速く放逸に暮らしていれば何も無く無駄に生涯を終えなければならない。
その結果、この苦界にまた舞い戻って来なくてはならない。
永遠に悟れなければ、永遠に輪廻を繰り返していなければならない。
そんな無駄な、そんな無意味な人生を送るよりも、自分の心を整えて、八正道を歩め、と教えられているのです。

つとめ励むのを楽しめ。おのれの心をまもれ。自己を難処から救い出せ。___泥沼に落ちこんだ象のように。
     「ダンマパダ」327

愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、つねに明らかな知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

不死の境地を見ないで、百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きるほうがすぐれている。
     「ウダーナ」



最近は平均年齢も延びてきて、それは本当に喜ばしい事なのかもしれません。
しかし、ここでお釈迦様は、「無意味に、不放逸に、自制しないで目的もなく、ダラダラと命を永らえる事が人間の目的ではない」と仰っているのではないでしょうか。

いつかは皆老い、そして病に罹り、誰かの世話になりながら死んで逝くのです。
「自分はまだまだ!」と思っていても、過ぎ去った「一秒」を取り返す事はできません。
確実に「死」へ向かって進んでいるのですね。
尊いこの人生を、決して無駄な人生にしてはならないと思います。
努め励み、自分の心を正しく守り、平安な心で人生を送れる事こそ、本当に幸せな人生であると、お釈迦様が教えて下さっているのです。




空飛ぶ鳥に迹なし

もろもろの悪をなさず、善の実行によって自らの意(こころ)を浄める。
このようにして、意(こころ)を浄化して解脱に至る事をお釈迦様は色んな譬喩で教えてくれています。
では、「意の浄化」とは、具体的にどのようなものを指して言うのでしょうか。
それは、外面的には「悪をなさず、善をなす」ことであり、また、内面的には「我執を挫いてとらわれを離れる」事であると言えましょう。

自己だ、自己だと思っていたものは、実は我執の中核(コア)によって仮に造られたもの(仮構されたもの)で、その中核を撃ち砕いていくならば、仮構された自己は消滅してゆきます。
自性ありと思っていたものが、自性無しへと転換してゆくのですね。
これを「無相」といい「空」といいます。
あるいは「無我」といっても良いでしょう。

空とは一見、思索された思想上の言葉として受け取りがちですが、本来「空」は実践上に顕れるものであって、思索の対象ではありません。
むしろ、思索の上で把握されない故に「空」と言うのですね。

「三昧」と言う言葉がありますが、一生懸命必至で仕事をしているときのあなたは、時間というのも忘れてしまい、仕事と言うことも忘れてしまい、あなたの意識には書類も机もなくただ「はたらき」があるだけの状態になりますね。
この「はたらき」だけがある状態を「空」と言います。

禅の言葉で「空手に鋤頭(じょとう)をとる」と言う言葉があります。
田圃や畑を一生懸命に耕している人の意識には、手に鋤や鍬を持っている事さえ忘れてただひたすらに「耕す」と言う行為のみがあります。
耕すという「はたらき」だけがあるのみです。
こういう三昧状態を「空」と言うのです。
言うならば、「空は無心のはたらきにこそ顕わになる」のであって、思想上存在したり、思索された対象として存在するものではありません。
この無心に生きる人を喩えて「空飛ぶ鳥に迹なし」と形容することがあります。

財を蓄えることなく、食物についてその正体を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知りがたい。___空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

その人の汚れは消え失せ、食物を貪らず、その人の解脱の境地は空にして、無相であるならば、彼の足跡は知りがたい。___空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

                 「ダンマパダ」92・93




『歩々清風起る』と言う言葉は、無心に修行に励む人の歩みを喩えた言葉です。
このような生き方を実践するには、一体どうすれば良いのか。
こだわりやとらわれを離れて、正念を持続させ続け(三昧)て生きる事ができればいいと言うことになるのです。
しかし、仏教の人生観は「無明煩悩」を基本していますから、このように正念の持続(王三昧)することはなかなか困難な事であろうかと思われます。

そこで古来から祖師たちは、刻苦して修行に励む。
要するに、無明煩悩は一度に克服して解脱できるものではありませんから、その場、その場、一瞬一瞬に解脱できるように修行をし続ける。
言葉を変えると「解脱し続ける」と言う事を目標にしておりました。
これが後世の「修証不二」、修行と証(さと)りはひとつのものであると言う事なのですね。

これまで自己浄化の必要性を説いてまいりましたが、自己浄化に努めてゆくと、そこに「空」が自然に実現してきます。
自己浄化は、我執を挫くことなのですが、この我執はとても根が深いもので、一度に克服することはできません。
従って修行の継続が必要になってきます。
その継続し続けるところに「空」は実現するというわけです。

つまり、我執が解消してゆくにつれ、真実の世界が顕わになり、ダルマが現成する「法界現成(ほっかいげんじょう)」と言うのです。

 片隅に坐したサーリープッタ尊者に、尊師はこう言われた。
「サーリープッタよ。そなたの身心(のもろもろの器官)は浄く明るく見える。
皮膚の色はまったく浄らかで、清く明るい。
そなたは今日いかなる境地に安住していたのか。」

「尊師さま。わたしは、いままで空の境地に多く住していました。」

「サーリープッタよ。みごとだ、みごとだ。そなたは今日は大いに偉大な人の境地に住していたわけだ。
この(偉大な人の境地に安住する)とは、すなわち空(に住すること)なのである。」

           「マッジマ・ニカーヤ」





死の克服

前回、サーリープッタが空に住しているところを、お釈迦様が褒め称えたところまでご説明致しました。

サーリープッタの空住は、すべての修行者の望むところであります。
努め続ける事が空住であるならば、何故努め続けなければならないのか、その理由が明瞭になってくるでしょう。お釈迦様自身も「自分は道の人でありつづけたい。」と仰っていて、生涯を内省と反省で過ごされました。
お釈迦様は内省を深めてゆくうちに、人間にはやむにやまれぬ生存への欲望、渇愛があり、そのさらに奥底には、根本無知といわれる「無明」があると洞察いたしました。
この無明とは、もはや、無意識の闇であります。
カルマの闇と言ってもいいでしょう。
これが後世仏教の深層心理とも言われる唯識論の成立へとつながってゆきます。
唯識では、人間の根本識を「アーラヤ識」と名づけました。
なんと我執の識はこの根本識たるアーラヤ識を発生源としているのです。
我執は深い無意識の世界を源として立ち上っているのですから、簡単にはもとから断つ事はできません。
お釈迦様が何度も繰り返し「努め励む」事を教えられたのは、こういう深い理由があるからなのですね。

つとめ励むのは不死の境地である。
怠りなまけるのは、死の境地である。
つとめ励む人々は死ぬことがない。
怠りなまける人々は、死者のごとくである。

     「ダンマパダ」21偈



この言葉には、空住の持続は不死の実現であるという意味が込められています。
不死とは、「つとめ励む」という三昧の実現のことであることがわかります。
それならば、どうすれば不死は実現するのでしょう。

ここにモーガラージャという修行僧がお釈迦様に、死をどうしたら超えられるかを問いかけて、それに答えられたお釈迦様の言葉があります。

つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば、死を乗り越えることができるだろう。
このように世界を観ずる人を、『死の王』は見ることがない。

      「スッタニパータ」1119偈



自我に固執する見解を打ち破れ、という事は、即ち「我執を挫け」ということです。
そうすると空住が実現します。
故に、死の王はそういった「飛ぶ鳥の跡のなきよう」な無相の人を見つけることはできない、と教えています。

この無相となる為の実践方法はどのようなものか。
これが、お釈迦様が重要視されている「八正道」、所謂中道の生き方ということになります。




【42】世界は常住か

お釈迦様の生きた時代は、インド史の中でも様々な思想家の活動した時期でもありました。
その中には、形而上学的な議論に熱中する思想家も多く、そう言った質問をお釈迦様にぶつけた若き青年僧もいたようです。
マールンクヤという修行者もそのひとりで、彼はお釈迦様に次ぎのような質問をいたしました。

一、世界は常住であるか、無常であるか。
(時間的に局限されているか、いないか)

二、我および世界は(空間的に)有限であるか、無限であるか。

三、身体と霊魂はひとつであるか、別であるか。

四、人間は死後も存在するか、しないか。



「中部経典」のマールクンヤ経の伝えるところでは、お釈迦様はこうした質問に対しても、お釈迦様は沈黙を守って答えることはありませんでした。
それが、彼マールクンヤには甚だ不満であったらしく、ある時「これを最後と思ってお尋ねします。是非ともお答えください。」と、お釈迦様に詰め寄ります。
これに対して、お釈迦様は厳しく諫めた上で、このように答えられました。

「ある人が毒矢に射られて苦しんでいるとしょう。
彼の親友、親族などは彼の為に医者を迎えにやるであろう。
しかし、矢の当たった当人は『私を射た者は、王族であるか、バラモンであるか、庶民であるか、奴隷であるかを知らない間は、この矢を抜き取ってはならない。また、その者の姓や名を知らない間は、抜き取ってはならない・・・』と語ったとする。
それでは、この人は、こういう事を知り得ないから、やがて死んでしまうであろう。
それと同様に、もしもある人が『尊師が私の為に《世界が常住であるか、常住ならざるものであるか。》などということについて、[いづれか一方に]断定して説いてくれない間は、私は尊師のもとで清らかな行いを実践しないであろう。』と語ったとしょう。
しからば、修行を完成した師はそのことを説かれないであるから、そこでその人は[毒がまわって]死んでしまうであろう。」

「マッジマ・ニカーヤ」マールクンヤ小経


ここは所謂仏教で「毒矢の喩え」と言われる部分です。

更に、お釈迦様は言われます。
「それ故にここに私が〔いずれとも〕断定して説かなかったこととして了解せよ。・・・
何故に私はこのことをいずれとも断定して説かなかったのか。
何となれば、このことは目的にかなわず、清らかな修行の基礎とならず、世俗的なものを厭い離れること、欲情から離れること、煩悩を制し滅すること、心の平安、すぐれた英知、正しい覚り、安らぎ(ニルヴアーナ)のためにならないからである。」

    「マッジマ・ニカーヤ」マールクンヤ小経



力強いお釈迦様の言葉だと思います。




】生死を越える

お釈迦様がマールクンヤの形而上学的な疑問に答えなかったのは、言葉に出して答えれば最早真実の実相と違ってしまうことを恐れたからであろうと思います。
世界が常住か、そうでないのか、霊魂はあるのか、ないのか、死後の生はあるのか、それともないのか・・・
これらの議論はすべて「有る」「無い」などと言う議論の網ではすくい上げることができない存在であります。
何故なら、「有る」「無し」の判断は、自己を中心として、そこを基点として判断するわけで、「我有り」の観念が既に存在したうえでの判断となるからです。
無我を説くお釈迦様の価値観では、自他不二、自己と他を分離することはできない、と言う立場にありますから、全く相容れない考え方なのですね。

このように、マールクンヤの質問に対して答えなかったお釈迦様の態度を「捨置(しゃち)と言います。
お釈迦様は、マールクンヤの問いかけを、何故に捨置したのかを更に考えてゆきますと、人間は死後肉体は滅びるが、魂は永遠であると言う考え方があります。
一方、死後は全てが無になる、と言う考え方もあります。
この二つの考え方は、全く対立する正反対の考え方のように見えますが、この両者は「我有り」の観念を共有しているのです。
前者は魂という実体を想定しておりますし、後者は「我有り」として、有ったものが無くなる事を想定しています。
お釈迦様の考え方は「我無し」でありますから、もともと実体の無いものを実体があるように思い込んでいるところに、大きな錯誤があるというのです。
しかし、表向きには魂が永遠であるとする考え方にも、無いと考える事にも否定をしているわけではありません。
もし、否定するとなると、両者の土俵に上がって同じ論議に加わらなければならなくなります。
そこでお釈迦様は「沈黙」されるのですね。

では一体真実とは何なのか、と言われれば、「有無を離れたありのままの姿」としか言いようがありません。
肯定的に「これがそれだ!」と指し示す事ができない故に、真実であると言えるのです。

我々はみな「我有り」を中心にこの世を見て判断しています。
この「我」を取り去ったら、「ありのまま」とでも言わざるを得ない世界、つまり、「法界」が顕わになってくるのです。
我々の命は大河に浮かんでは消える泡沫であり、とるに足らないもののように思えますが、実際は泡沫というものがは、大河のありのままの姿の一コマであって、大河と分離しているわけではありません。
泡沫は大河の働きそのものなのです。
ちょうど大海の水と波の関係と言ってもいいでしょう。
波は様々に変化しますが、大海の水が変化したものであり、実は大海そのものなのであります。
これと同じように、塵ひとつでさえこの世界から分離して捨ててしまうことはできません。
なぜなら、塵はこの世界のすべてのものと繋がり合っており、この世界そのものであるからです。

我々はこの一つなる現象世界を、塵だのゴミだの、花だの鳥だのと分別分離していますが、すべては一法界の変化の姿であると見ることができましょう。
後世の祖師は、これを「一々の微塵、法界を現ず」と言っております。
華厳経の思想では、「一即多、多即一」などといいます。
これが生死を超えた消息であり、「法界縁起」の世界なのですね。

このような世界を体得すれば、死の苦しみは解消します。
現代人の多くは、死ねば空無に帰すると考えているでしょう。
この考えを間違っていると否定する必要はありません。
「法界縁起」や「無我」の立場から言えば、そう考えて一向に差し支えないのです。
この世界は生滅の世界ですから、空無であります。
そして、「我有り」の考えを離れて空無に帰すれば、あとは「我無し」になるのですから「法界縁起」の世界がありありと現成することになります。

世の中は うたかたのごとしと見よ。
世の中はかげろうのごとしと見よ。
世の中をこのように観じる人は、死王もかれを見ることがない。

             「ダンマパダ」170偈



参考 NHKブックス ブッダの人と思想 中村元・田辺祥二著




安楽に生きる事の教え

先祖達の犯した悪業の宿業体である私達には、救いの道はないのでしょうか。
お釈迦様は「ニルヴァーナ(涅槃)」に入る事を最終目標として、解脱の道を説かれてきました。

一口にニルヴァーナと言っても、それがどのような境地を言うものであるのか、私達にはとても分かり難い面があると思います。
そこで、分かりやすい言葉で一端を顕すとすれば「安らぎの境地」「安楽の境地」とでも言いましょうか。
私達の人生においては、安らぎとか安楽の対極にあるとも言えるような、四苦八苦の苦しみの上に、生活苦と言う生きてゆく為の必然たる苦しみを背負って生きてゆかねばなりません。
これらの苦しみから解放される事が「解脱」であり、ニルヴァーナであります。
ニルヴァーナとは、苦の起こりのもとである「渇愛(妄執)」を滅して体得される境地ですから、清浄行の実践が不可欠であり、その行を通じて了解するものであって、言葉で説明する事は極めて難しい境地であります。
このことについて、後世の仏教者ナーガセーナ長老とギリシャの人メナンドロス(ミリンダ)王との対話があるのでご紹介させて頂きます。

 「大王よ、あなたはどうお考えになりますか。手足をまだ切断されたことのない人々が『手足を切断することは苦痛である。』ということを知っていますでしょうか。」

 「尊者よ、そうです。彼らは知っているでしょう。」

 「どうして知っているのですか。」

 「尊者よ、他人が手足を切断されたときの悲痛な声を聞いて、『手足を切断されることは苦痛である。』ということを知るのです。」

 「大王よ、それと同様に、(いまだニルヴァーナを得ない人々でも)ニルヴァーナを体得した人々の声を聞いて『ニルヴァーナは安楽である』ということを知るのです。」

                ーミリンダ王の問いー



私達は他人の悲痛な声を聞くことで、苦しみを察知することができます。
それと同じように、安らぎの存在も知る事ができるのです。
多くの人々は、その安らぎを求め続けているにも拘わらず、その境地にはほど遠いところにいるのではないでしょうか。
お釈迦様は、欲望の充足によってこの安らぎを得る事は出来ないことを、何度も繰り返して説かれています。
寧ろ、「欲望を止滅することによってのみ、心の安らぎは得られる」と仰っているのです。

 「この世において、見たり聞いたり考えたり識別したり快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。」

           「スッタニパータ」1086偈

 「いかなる所有もなく執着して取ることがないこと。
 ___これが州(しま)にほかならない、それをニルヴァーナと呼ぶ。
それは老衰と死との消滅である。
   
           「スッタニパータ」1094偈


ここで説かれているのは、現実から遠く懸け離れた超越的世界のことではなく、我々の日常生活における無欲の実践、無執着の実践によってニルヴァーナが実現すると言う教えのように受け止める事ができるのではないでしょうか。

 迷いの生存に導く妄執が消滅して、事象をありのままに見えたときには、死に対する恐怖は存在しない。___たとえば、荷をおろしたときには(ホッとして)もはや恐怖は存在しないようなものである。
           
              「テーラガータ」708偈

 わたしは清らかな行いをよく実践してきた。道もまたよく修めた。わたしには死に対する恐怖は存在しないようなものである。

               「テーラガータ」709偈

 彼岸に達し、執着することなく、つとめを果たし、汚れのなくなった人は、寿命の尽きることに満足している。___たとえば刑場から釈放された人のように。

               「テーラガータ」711偈


 最上の真理の境地に到達し、全世界に対して求めることなく、彼は死を悲しむことがない。___火のついた家から脱出した人のように。

               「テーラガータ」712偈

煩悩はよく火の燃え盛る状態に喩えられます。
その火が消えた状態をを「ニルヴァーナ」というのです。


 大きな火が燃え立っていても、薪がなくなると消えてしまう。
燃え残りがあっても、「火は消えた」といわれる。

                「テーラガータ」702偈


このように煩悩の火を消す事ができれば、心は冷静な心境に戻ってきます。
それは超越的な高度な心境ではなく、目覚めた安らぎの心境です。
それを後世の人は「平常心」といっています。
煩悩を乗り越え、生死を乗り越えた、と言った気張った心境ではなく、自己を制御し、煩悩をコントロールしてゆくと自然に心が静まって浄化されてゆき、死や老いに対する恐怖心も去ってゆくのです。

この安らぎの境地は、私達が精進する事で身に付けるのではなく、生まれてからこれまでに身に付けた煩悩と言う汚れを徐々に取り除いてゆけば、そこには既に「ニルヴァーナ」と呼ばれる静寂な心を取り戻してゆけると言う事で、誰の心にもこの「安らぎの境地」は存在していると言うわけなのですね。
厳しい修行は、煩悩を取り除く為に必要な行であって、厳しい修行によってニルヴァーナが身につくものではないと言う事なのです。




【45】女性の出家者

お釈迦様は幼くして実母と死に別れ、マハーパジャパティーと言う女性のお乳で育てられました。
この女性はお釈迦様をずっと敬愛し続けており、出家を願い出て許された女性の出家第一号であったといわれておりますが、お釈迦様は最初この女性の出家者を喜ばなかったふしがあります。
初期の教団は全て男性でありましたから、戸惑いもあったのでしょう。
そこで、気が優しくて男ぶりも良い事で尼僧達からとても慕われていたアーナンダがとりなして、女性もまた男性と同じように阿羅漢(悟った人)の境地に至ることはできないのかと、お釈迦様に質問しました。
法に男女の区別があるわけでもなく、法のもとに平等である以上、女性の出家を拒否する理由はありません。
従って、お釈迦様も女性の出家を許可されることになりました。
このように、以後女性の優れた出家者を生み出す端緒を開いたということで、アーナンダの功績は大いに評価されて良いと思います。

後世に伝えられた仏典の中には、当時の女性差別の風潮の影響を受けたものがありますが、女性の詩偈を集めた「テーリーガーター(長老尼偈)」には、立派に阿羅漢に達した尼僧の境涯が綴られております。
その中には智慧の優れたケーマー尼、神通に優れたウッパラヴァンナー尼、粗衣に身をやつし頭陀行を行じたキサーゴータミー尼など、多くの得道の尼僧を例にあげることができます。
在家の仏教者で有名な女性は、お釈迦様がよく説法した舎衛城の郊外にある鹿子母講堂の寄進者、ヴィサーカー・ミガーラマーターであります。
これらの女性の中で、辛苦の中から解脱に至ったキサーゴータミー尼の詩偈をご紹介致します。

わたしは分娩の時が近づいたので、歩いて行く途中で、わたしの夫が路上に死んでいるのを見つけた。わたしは、子供を産んだので、我が家に達することができなかった。

貧苦な女にとっては、二人の子供は死に、夫もまた路上に死に、母も父も兄弟も同じ火葬の火で焼かれた。

一族が滅びた憐れな女よ、そなたは限りない苦しみを受けた。さらに幾千(の苦しみの)生涯にわたって、そなたは涙を流した。

さらにまた、わたしはそれを墓場のなかで見た。子供の肉が喰われているのを。

わたしは一族が滅び、夫が死んで、世のあらゆる人々に嘲笑されながら、不死(の道)を体得した。

わたしは、八つの実践法よりなる尊い道、不死に至る(道)を実修した。

わたしは安らぎを現にさとって、真理の鏡を見た。

           「テーリーガーター」218〜222



凄まじいばかりの貧苦と不幸であります。
こうした苦しみの中で、彼女が掴んだ「やすらぎ」とは、一体どのようなものであったのでしょう。
おそらく誰も覗き見ることのできない絶望のどん底から見ることを得た、「真理の鏡」であったのでしょう。
その透徹した悟境は、その後の彼女の生き方の中に粗衣粗食の足るを知る(知足)頭陀行となって顕れたのでありましょう。




アングリマーラ

お釈迦様の弟子になった人達は、決してエリートばかりではありません。
中でも異色中の異色であるアングリーマーラのお話を致しましょう。

アングリーマーラのアングリーとは「指」と言う意味で、マーラは「花冠」の事なんですね。
つまり、人を殺めてその人の指を首飾りとしていた事によって、この名がついた凶悪な盗賊、それがアングリーマーラでした。

 ある人々は、杖とか、鈎とか、鞭とかで、調練する。
 わたしは杖にもよらず、刀にもよらずに、立派な人(ブッダ)に調練された。
 私は以前には「アングリーマーラ」という悪名で知られていた。
 大きな激流に流されていたが、すでにブッダに帰依するに至った。

               「テーラガーター」878、880偈


ある日、舎衛城の郊外の路上において、アングリーマーラはお釈迦様に害心を持って近づき、そしてこう言いました。
「沙門よ停まられよ。」と。
お釈迦様は言いました。
「わたしは停まっている。そなたも停まったらどうか。」と
アングリーマーラ、「あなたは歩いているのに停まっていると言い、わたしは停まっているのに停まっていないと言う。それはどういう事か。」
お釈迦様、「アングリーマーラよ、わたしは生きとし生けるものに対する害心を捨てて停まっている。しかるにそなたは生きものに対する自制の心がない。それ故にわたしは停まり、そなたは停まっていないと言うのだ。」

このお釈迦様の言葉に、アングリーマーラは痛く心を打ちのめされました。
これまで悪逆の限りを尽くしてきたアングリーマーラの心に、良心と悔悟の念が目覚めてきたのです。
彼は即座に武器を捨て、お釈迦様に出家を願ったと言うことです。

もうひとつ、出家した後のアングリーマーラの詩をご紹介致します。

 以前には怠りなまけていた人でも、後に怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。____雲を離れた月のように。

 以前には悪い行いをした人でも、後に善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。____雲を離れた月のように。

               「テーラガーター」871、872偈



中部経典のアングリーマーラ経の伝えるところでは、お釈迦様のもとに帰依してからの彼は、過去に犯した悪行を償いつづけなければなりませんでした。
ある日、アングリーマーラが舎衛城に托鉢に出掛けた時、過去に彼から苦しめられた人々は彼を罵り、石をもって彼を傷つけました。
彼の衣は引き裂かれ、体から血を流して精舎に帰ってきたアングリーマーラの姿を見て、お釈迦様はこう言いました。
「バラモンよ、忍受せよ、そなたは忍受しなければならない。かって犯した悪業によって、幾百年、幾千年、地獄において受けるであろうその報いを、今ここで受けているのである。」と。

            「中部経典」

このアングリーマーラだけでなく、私達ひとりひとりにも痛烈に染み入る説法ではないでしょうか。
この世の中に、自分が「善」であると胸を張って言える者が幾人いるでしょう。
又、自分の体に流れている先祖達の犯した悪業の宿業体として考えてみても、私達はこの業を忍受して生きてゆかなければならない事に気づきます。
過去の悪業を、今善業を積む事によって、雲から離れた月のように世間を照らす事のできる人間に変わってゆくことができる。
そう言う、アングリーマーラの心の叫びが、今の時代になっても人々の心を強く打っているように思います。




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