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**仏陀の主な教え**

◆言葉の解説・・・初心者の為の仏教用語語一覧はこちらです▼

★対機説法(たいきせっぽう)
仏陀は法を説かれる時、相手の性格や知識力、及び理解力に合わせて色んな比喩(たとえ話し)をもって教えを説かれました。
それを対機説法と云います。
当時のインド社会では、カースト制といって、身分が四段階《バラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王族・武士)、ヴァイシヤ(庶民)、シュードラ(隷民)》に厳しく決められていました。
下級に位置する民などは学問の知識もない人が殆どで、そのような人々にも理解できるように喩え話しで説教されたのです。
**主な教え**


四苦八苦(しくはっく)
先ず仏陀は、この世の苦しみとして四苦を悟られました。
@=苦の蔓延するこの世に生まれて来る自体が苦であるとする考え方。
A=生まれて来た以上は、年をとり、老いてゆく事の苦しみ。
B=痛みや苦しみによってのたうちまわる病人の苦しみ。
C=誰もが刻々と迫り来る死に直面しなければならない、逃れることが出来ない死。

四苦に続いて、思い通りにならない苦しみとして次の四つが上げられます。
合わせて八苦(四苦八苦)となります。
D怨憎会苦(おんぞうえく)=嫌な人間との出会いでもたらされる苦しみ。
E愛別離苦(あいべつりく)=愛する者との別れの苦しみ。
F求不得苦(ぐふとっく)=欲しいと思って求めても、手に入れる事ができない苦しみ。
G五蘊盛苦(ごうんじょうく)=肉体を五つの蘊の集まりと考え、そこから発生する様々な苦しみ。

苦行中の仏陀

四諦(したい)
諦と云う字は『明らかにする』『真理』と云う意味で、四諦とは『四つの真理』と訳す事ができます。
苦諦(くたい)=この世は苦しみに満ち溢れた世界であるという真理。
集諦(じったい)=苦しみは、外からくるものではなく、自分自身の煩悩によると云う真理。
滅諦(めったい)=この煩悩が引き起こす苦しみを滅する事が、心の平安に繋がると云う真理。
道諦(どうたい)=心の平安を得る為に、八つの正しい道を実践しなければならないと云う真理。


八正道 (はっしょうどう)
ここに挙げられた八つの正しい道とは、「バランスのとれた良い状態」、即ち「中道」の教えであります。
1,正しい見解 :
正しく世のあらゆるものごとを観察することで、この「正見」によれば、喜びもさえも価値のないものと考える。
2,正しい思惟 :
自我から生じる五欲(財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲等)を正見し、それらをありのままに見る事で、一切を捨離しょうとする心に導く。
3,正しい言葉
:仏教で戒められている妄語・綺語・両舌・悪口から離れること。
4,正しい行い :
(正業) あらゆる煩悩から離れ、邪な行いから離れること。
 
5,正しい生活 :
間違った生活から離れて、正道に沿った生き方をすること。
6,正しい努力 :
(正精進)既に起こった悪や過ちから離れる為の、正道に沿った努力のこと。
 四正勤(ししょうごん)
7,正しい念い(思い) :
正見によって如実に身のあり方・心のあり方を識ること。
8,正しい瞑想 :
精神統一(禅定)によって、心を不乱堅固に保ち、正しい智慧を完成させること。


* 八正道の根本にあるものはこの「正見」であり、この正見によってそれぞれの道を修める。

四正勤(ししょうごん)
@すでに生じた悪を除こうと勤める。
A悪を生じないように勤める。
B善を生ずるように勤める。
Cすでに生じた善を増すように勤める。

因・縁・果・報
仏教では原因《因》があって、それに作用する物事《縁》により、結果《果》が出ると考えます。
又結果に対する報い《報》があり、それが又因となり、縁、果、報・・・と繋がってゆくのです。
因縁によって物事が生起する事を、仏教では《縁起=因縁生起(いんねんしょうき)》と云います。


縁起 (えんぎ)
この世界は「無常」である事を知れば、苦しみから解脱することができるとお釈迦様は説かれています。
更に、苦しみを滅する為には、その苦しみが何処から来ているかを追求して考えられたのが「縁起説」です。
これがあるとき、かれがあり、かれがあるときこれがある。」「これがないとき、かれもなく、かれがないときこれもない。」と言うように、すべての物事は依り合って存在している事を言います。
「苦は、何等かの因縁(原因若しくは条件)によって生じ、その因縁が無くなれば苦も無くなる。」
と言う事なのです。


十二因縁 (じゅうにいんねん)
誕生から死に至る人生の段階を十二項目(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)に纏めたもの。
無明=智慧の閉ざされた状態
行=生まれようとする潜在的な力。
識=認識作用。
名色(みょうしき)=名と姿。
六入(ろくにゅう)=5感と意識。
触(そく)=接触。
受=感受作用。
ここまでは肉体や感覚器官、意識が備わってくる事を言い、
そこから
愛=渇愛・欲望。
取(しゅ)=執着。
が生まれて、
有(う)=迷いの存在。
となり、迷いの世界を『生』きて『老死』に至り、そしてまた無明へ去る。

三宝印 (さんぽういん)
縁起の法則を次の三項目に纏めたもの。
一.諸行無常=諸行はあらゆる現象の意で、それは常ならず、常に変化している。
二.諸法無我=諸法とはあらゆる事物の意で、自我を含めて、すべては関係において存在している。
三.涅槃寂静=涅槃も寂静も悟りの平安な境地を言う。
「諸行無常」「諸法無我」を見つめる事によって、平安に達せられると言う教え。

(くう)
この世の一切の現象は、因縁の相互関係で成り立っていると考え、全てのものには実体が無いし、永遠であるものは無いとする考え方で、それを「無我(むが)」「無常(むじょう)」と云い、それであるから全てのものは《空(くう)》であると云います。

無記(むき)
仏陀は人生において解決出来ない形而上の問題に関しては、一切「無記(むき)=敢えて回答したり判断をしない)」という姿勢を貫かれたようです。
また、弟子からの形而上の質問に対しては、「*毒矢のたとえ」」をもって答えています。

*毒矢に刺さった者は、毒矢を抜く事が重要であるのに、矢を射った犯人を捜す事を優先すると、射られた者は死んでしまう、という喩え話し。

平等
インド社会では現代においても身分制度が厳しく定められています。
仏陀が活動していた頃の社会では一層厳しかったようで、女性が出家して修行をする事など、とても考えられない状況でした。
然し、仏陀は女性の出家を認め、弟子達の間にも身分による上下差別ではなく、先に出家して修行した者が弟子としての位が高くなるとした制度であったようです。

智慧 (ちえ)
パーリー語の「パンニャー」を表音して「般若」とも言う。
通常の判断能力や知性といった意味の他に、宗教的な目覚め。つまり聖なるものに心を開く事を言う。
それを求める事が修行の目的で、それには「戒(かい)」「定(じょう)」「慧(え)」の三学をあげる。
戒=規則
定=精神統一と瞑想
慧=智慧の意

慈悲 (じひ)
仏教における宗教的な愛を言う。
『慈』の原語「マイトレイヤー」は「マイトリー(慈しみ)」と「ミトラ(友)」の合成語で、他者に楽を与える事を言う。

『悲』の原語「カルナー」は苦しみにうめく事を言い、苦しみを除く事を意味する。
仏教の救済は、この慈と悲によるので、「抜苦与楽(ばっくよらく)」と言われる。

煩悩 (ぼんのう)
貪(とん)=欲望・執着
瞋(じん)=怒り・憎悪・怨恨
痴(ち)=無知・愚かさ
の三毒(さんどく)をはじめとする心の迷いを指す。
これが苦のもとであり、中でも我執(がしゅう)と言う、我に執着することが大きな煩悩とされる。

(さとり)
原語「ボーディ」から「菩提(ぼだい)」と表音するほか、真実に目覚めると言う意味で「覚(かく)」、修行の結果得られるものだから「証(しょう)」、「証悟(しょうご)」などと言い表される。
迷いの対極にある境地で、煩悩を滅した状態(涅槃)、苦しみの輪廻を超越した状態(解脱)と同義である。

四衆(ししゅう)
比丘(びく:男性の出家者)・比丘尼(びくに:女性の出家者)・優婆塞(うばそく:在家の男性信者)・優婆夷(うばい:在家の女性信者)
在家の信者は出家者に食べ物や衣を布施した。
その善の行いが輪廻の場の福徳てらもたらすと言う意味で出家者は福(功徳:未来の幸いのもとになる徳)を与える。
在家者から出家者への布施を財施(ざいせ)、出家者から在家者への布施を法施(ほうせ)と言う。

托鉢(たくはつ)
出家者と在家者の通常の接点は、托鉢(乞食:こつじき)にあった。
出家者は早朝に家々をまわって鉢に食を受けた。
施されたものは何であっても拒んではならないと言う決まりがあり、肉食も禁じられてはいなかった。

阿羅漢(あらかん)
修行者は幸福をもたらす聖性と威力があるという観念は世界的なものであるが、インドでは古代から強い観念で、とくに尊敬に値する聖者をアルハン(阿羅漢)と呼んだ。
初期の仏教では比丘の最高位を言う。
漢訳では応供(おうぐ:供物を受けるに値する聖者)ともいい、仏の十号のひとつに数えられるほか、中国で羅漢信仰が発展した。

十号(じゅうごう)
仏陀が祈りの対象となるとともに、様々な称号(名号:みょうごう)が生まれた。
経文の定型句として列記されるのが次の十一種の称号合わせて十号と総称する。
如来 :如(真実より来たれる者   応供 :敬いを受ける者(原語はアルハン)   正遍知(しょうへんち) :すべてを正しく知る者   明行足(みょうぎょうそく) :智慧とおこないを備えた者   善逝(ぜんぜい) :完全な悟りの世界に至った者   世間解(せけんげ) :世間を知り分けている者   無上士(むじょうし) :最高の人   調御丈夫(ちょうごじょうぶ) :巧みな指導者   天人師(てんにんし) :神々と人々の師   (ぶつ) :目覚めし者   世尊(せそん) :世に尊ばれる者

彼岸 (ひがん)
紀元1世紀頃から発展した大乗仏教では、阿弥陀仏などの仏の世界「仏国土(ぶっこくど)」に生まれ変わることで悟りの境地に達せられると考えられ、この世を此岸(しがん)と言うのに対して、仏の世界を彼岸と言う。
そして、彼岸に達する事を「成仏(自ら仏になる事)」と言うようになった。

六波羅蜜 (ろくはらみつ)
彼岸の原語「パーラミター(波羅蜜多)」は完成とか成就と言う意味で、大乗仏教は次の六項目を六波羅蜜と言って、修行の指針として重視している。
一.布施(ふせ)=惜しまず与える事
二.持戒(じかい)=戒律を尊重し守る事
三.忍辱(にんにく)=耐え忍ぶ事
四.精進(しょうじん)=正しく努力する事
五.禅定(ぜんじょう)=精神を統一する事
六.智慧(ちえ)=物事を正しく見つめる事

五つの下位の束縛
五下分結をいう。 俗界に属する五つの煩悩。 「結」は束縛のことで、煩悩の異名。 「下分」は欲界のこと。
三界のうち最下の欲界(感覚で知ることができる下界)に衆生を結びつけ、束縛している五種の煩悩『貪・瞋恚・有身見・戒禁取見・疑』。
この「五下分結」のあるかぎり、衆生は欲界に生をうけ、これらを断滅すると、欲界に帰らぬ「不還果」を得る、と言うのが説一切有部などの伝統的見解である。

五つの上位の束縛
五上分結をいう。 上方(色界と無色界)に結びつける五つの煩悩。 三界のうち、上二界である色界と無色界とに衆生を結びつける五種の煩悩『色界の貪・無色界の貪・掉挙(じょうこ)・慢・無明』。
衆生を色界と無色界とに結びつけて解脱させない煩悩であるから、上分結と名づける。
これを断ずると阿羅漢果を得るというのが説一切有部の伝統的解釈であった。

 
五つの執著
貪り・怒り・迷妄・高慢・邪な見解。 これらは執着を起こさせるもとであるから「五著」という。

無所有処(むしょうじょ)
何も無い境地。無の境地」六師外道の一人アーラーラ仙人の説く教え。

非想非非想処(ひそうひひそうじょ)
表象意 識があるでもなく、ないでもないと言う境地」の境地 。ウッダカ仙人

正覚(しょうがく)
原語のひとつでは「アビサンボーディ(パーリー語)」と言って「ダルマ(法)について十分に知り尽くした境地、あるいはダルマが現前する境地に達した事を言う。


女人の五障(にょにんのごしょう)
「法華経信解品(ほっけきょうしんげほん)によれば、女人が成仏するのには、以下の「五つの障り」があるとされている。

「欺:ご」・・・信ずべきものが信じられなくなること。
「怠:だい」・・・初々しさをなくすること。
「瞋:しん」・・・怒り・憎しみ
「恨:ごん」・・・生きている間中恨むこと。
「怨:おん」・・・死んでからも怨むこと。


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