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サンユッタ・ニカーヤ


サンユッタ・ニカーヤとは「主題ごとに整理された教えの集成」と言う意味で、五集からなる経典です。
スッタニパータと並ぶ貴重な原始経典の中から、ここでは抜粋して掲載しております。
___参考 ブッダ 神々との対話  中村元著 ___

第T篇 第一章 葦


   第五節 どれだけを断つべき?

一. 傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「どれだけを断つべきか?  その上にどれだけを修めるべきか?
どれだけの束縛を超えたならば、修行僧は(激流を渡った者)と呼ばれるのであるか?」

二.[尊師は答えた]

「五つ[の下位の束縛]を断て。  五つ[の上位の束縛]を捨てよ。
さらに五つ[のすぐれたはたらき]を修めよ。 五つの執著を超えた修行僧は、[激流を渡った者]と呼ばれる。」 


〜 解説 〜
第五節 : 『雑阿含経』三十六巻(1002)(大正蔵、二巻262頁下)

五つの下位の束縛 : 五下分結をいう。 俗界に属する五つの煩悩。 「結」は束縛のことで、煩悩の異名。 「下分」は欲界のこと。
三界のうち最下の欲界(感覚で知ることができる下界)に衆生を結びつけ、束縛している五種の煩悩『貪・瞋恚・有身見・戒禁取見・疑』。
この「五下分結」のあるかぎり、衆生は欲界に生をうけ、これらを断滅すると、欲界に帰らぬ「不還果」を得る、と言うのが説一切有部などの伝統的見解である。

五つの上位の束縛 : 五上分結をいう。 上方(色界と無色界)に結びつける五つの煩悩。 三界のうち、上二界である色界と無色界とに衆生を結びつける五種の煩悩『色界の貪・無色界の貪・掉挙(じょうこ)・慢・無明』。
衆生を色界と無色界とに結びつけて解脱させない煩悩であるから、上分結と名づける。
これを断ずると阿羅漢果を得るというのが説一切有部の伝統的解釈であった。

五つの執著 : 貪り・怒り・迷妄・高慢・邪な見解。 これらは執着を起こさせるもとであるから「五著」という。




第二章  歓喜の園


    第二節  歓ぶ

一. 傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。
執着するよりどころによって、人間に喜びが起こる。
執着するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない。」

二.[尊師いわく___]
「子あるものは子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
執着するよりどころによって人間に憂いが起こる。
実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。」



   第三節  子ほど可愛いものはない

一. 傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「子ほど可愛いものは存在しない。 牛に等しい財は存在しない。
太陽に等しい光輝は存在しない。 海は最上の湖である。」

二.[尊師いわく___]

「自己ほど可愛いものは存在しない。 穀物に等しい財は存在しない。
智慧に等しい光輝は存在しない。 雨雲は最上の湖である。」


   第七節  なしがたいこと (亀】

一.神いわく___
「人は、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?___もしも自分の心を制御することができないならば。
修行者の行いは、知能の鈍い人間のなしがたく忍びがたいことである。
[もしもそうしないならば]一歩一歩ごとに心が沈んでしまって、諸々の[乱れた]思いのままになってしまうであろう。」


二.尊師いわく___
「亀が諸々の肢体[首と四肢と尾と]を自分の甲羅のなかにひっこめるように、修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、、なんびとをも謗るな。」



   第八節  恥

一.神いわく___
「みずから恥じて自己を制し、駿馬が鞭を受ける要がないように、世の非難を受ける要のない人が、この世に誰かいるであろうか。」


二.尊師いわく___
「恥を知って制する人は少ない。かれらはつねに気をつけて行い、苦しみの終滅に到達して、逆境にあっても平静に行う。」


第三章  剣


サーヴァッティーが因縁(ゆかり)の場所である。
傍らに立って、その神は、尊師のもとで、、次の詩をとなえた。


   第一節  刀によって

「刀が体に刺さっている場合に[刀を抜き去る」ように、[ターバンを捲いた]頭[髪]に火がついている場合に、[急いで火を消そうと努める]ように、愛欲の欲情を捨て去るために、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。」

尊師いわく、___
「刀が体に刺さっている場合に[刀を抜き去る]ように、[ターバンを捲いた]頭[髪]に火がついている場合に[急いで火を消そうと努める]ように、〈自身ありという見解〉を捨て去るために、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。」


   第二節  触れる

神いわく、___
「触れない人には、[何ものも]触れることがない。
もしも触れるならば、その人に[何ものかが]触れるであろう。」

尊師いわく、___
「汚れのない人、清らかで咎のない人、を汚す者がいるならば、その邪悪は、かえってその愚者に戻ってくる。___
風にさからって細かい塵を投げると、[その人に戻ってくる]ようなものである。」


   第三節  結髪

一.神いわく、___
「内に結髪のしがらみあり、外に結髪のしがらみあり、___
人々は結髪のしがらみにまといつかれている。
それ故に、ゴータマよ、あなたにおたずねします。
この結髪を解きほごすのは、誰ですか?」


二.尊師は答えた、___
「人として、堅く戒めをたもち、明らかな智慧をそなえ、心の念いと明らかな智慧を修養し、つねに熱心で、慎み深くつとめる修行僧は、その結髪を解きほごすであろう。

欲情と憎悪と無知(迷い)とが脱落し、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした〈敬われるべき人々〉___かれらは、結髪をすでに解きほごしたのである。
名称と形態とがすっかり滅び、障礙も、形態についての思いもすっかり滅びてしまったところでは[内的と外的との]結髪は断ち切られるのである。」



   第四節  心の抑制

神いわく、___
「人の心が、いかなることをなさないように心を抑制しょうとも、まさにその故に、苦しみはその人に到達しない。
人は、あらゆることを離れるように、心を抑制せよ。
そうすれば、かれはいかなる苦しみからも解脱する。」

尊師いわく、___
「心を、あらゆる事柄から離れるように抑制すべきではない。
すでに自制されている心を抑制すべきではない。
悪の起こるところから離れるように、それぞれの場合ごとに心を抑制すべきである。」



   第六節  光明

神問うていわく、___
「「世にはいくつの光明があって、世を照らしているのですか。
あなたにおたずねしたいと思って来たのですが、われらはそれを、どうしたら知ることができるでしょうか。」

尊師いわく、___
「世には四つの光明がある。 ここに第五の光明は存在しない。
昼には太陽が輝き、夜には月が照らし、
また火は昼夜に、あちこちで照らす。
正覚者(ブッダ)は、熱し輝くもののうちで最上の者である。
これは無上の光である」と。

 
   第八節  大いなる財

神問うていわく、___
「大いに財宝あり、大いに財産あり、国土を所有している王侯たちは、欲望に飽くことなく、互いに貪り獲得しょうと望んでいる。
熱望をいだき、迷いの生存の流れに押し流されているかれらのうちで、
誰が貪りと妄執を捨て去って、世にあっても熱望することがなくなったのでしょうか。」

尊師が答えていわく、___
「家を捨てて出家遍歴し、子と家畜と愛しきものを捨て去って、情欲と怒りを断ち、無明を離れて、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした貴人たち、___
かれらこそ、世にあっても貪り熱望することがないのである。」



   第九節  四輪あるもの

神が問うていわく、___
「四つの車輪あり、九つの門(=穴)があり、(汚穢に)満ち、貪欲に結びつけられ、泥土から生じたものである。
大いなる健き人よ。
どうしたら、そこから脱け出ることができるでしょうか?」

尊師は答えた、___
「紐と革帯を断ち、
悪い欲求と貪りを断ちきって、妄執を根こそぎえぐりだして、このようにしたならば、脱出が起こり得るであろう」と。


〜解説〜

四つの車輪 : 行・住・座・臥の四種のふるまいを指す。
九つの門 : 身体に分泌または排泄をする穴が九つあることを指す。
 : 怨念・怒り。 雑阿含経では「愛着」と訳す。
革帯 : 妄執。

   第十節  羚羊の脛

神が問うていわく、___
「羚羊の脛のように、ほっそりしていて、しかも雄々しく、食物を摂ること少なく、貪り求めることなく、
獅子や像のように独り歩み、諸々の欲望を顧みない人のことを、[尊師に]近づいて、われらお尋ねします。
どのようにしたならば、苦しみから離脱できるのでしょうか?」

尊師が答えていわく、___
「世間には五つの愛欲の要素がある。
心は、第六のものである、と説かれている。
ここで欲求を断ったならば、このように苦しみから離脱する。」

   
〜解説〜

五つの愛欲の要素 : 『雑阿含経』には「五欲徳」と直訳しているが、意味をなさない。
五官の対象のことをいう。


第三章  サトゥッパラ群神

大一節 善き人々と共に

一. 私はこのように聞いた。ある時尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林(孤独なる人々に食を給する長者)の園に住しておられた。

二. そのとき多くのサトゥラッパ群神たちは、夜が明けてから、容色うるわしく、ジャーター林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。
近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。

三. 傍らに立ったある神は、尊師のもとで次の詩を唱えた。___
「ただ善き人々と居れ。
ただ善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知って、ひとは、より良きものとなる。
より悪きものとはならない。」

四. ついで、他のある神は、尊師のもとで次の詩を唱えた。___
「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知るならば、智慧が得られる。
そうでなければ、得られない。」

五. ついで、他のある神が、尊師のもとで次の詩を唱えた。
「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知ったならば、憂いの中にあっても憂えない。」

六. ついで、他のある神が、尊師のもとで次の詩を唱えた。
「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知ったならば、親族の間で輝く。」

七. ついで、他のある神が、尊師のもとで次の詩を唱えた。
「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知ったならば、人々は良い境地におもむく。」

八. ついで、他のある神が、尊師のもとで次の詩を唱えた。
「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知ったならば、人々はいつまでも安立するであろう。」

九. ついで、ある神が尊師に向かって次のように言った。___
「尊師さま。みごとにとなえられたのは、だれの詩でしょうか?」
尊師いわく、___
「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。 しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。
ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。
善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる」と。


第二節 もの惜しみ

一. 或るとき尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林(孤独なる人々に食を給する長者)の園に住しておられた。

二. そのとき多くのサトゥラッパ群神たちは、夜が明けてから、容色うるわしく、ジャーター林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。
近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。

三. 傍らに立った或る神は、尊師に向かって次の詩を唱えた。___
「もの惜しみと怠惰とのゆえに、このような施与はなされない。
功徳を積んで期待し道理を識別する人によって、施与はなされるのである。」

四. そこで他の神が、尊師に対して次の詩を唱えた。
「もの惜しみする人は、なにかのことを恐れて施与しないのであるが、そのことこそ、施与しない人にとって怖ろしいことなのである。
もの惜しみする人が恐れるのは、飢えと渇きであるが、この世とかの世において、それが愚人に触れる。
それゆえにもの惜しみの心を抑えて、汚れに打ち克って、施与をなせ。
功徳は、来世における人々の足場となる」と。

五. つぎに、他の神が、尊師に対して、次の詩を唱えた。___
「曠野の旅の道づれのごとく、乏しき中よりわかち与える人々は、死せる者どものうちにあって滅びず。
これは永遠の法である。
或る人々は、乏しき中からわかち与え、或る人々は、豊かであっても与えない。
乏しき中からわかち与えたならば、(その施与は)千倍にも等しいと量られる。」

六. ついで、他の神は、尊師に対して、次の詩を唱えた。___
「わかち難きものをわかち与え、なしがたき行いをなす人々に、悪人はまねて行うことはできない。
善き人々の法は、従い行くこと難し。
それ故に、善人と悪人とは、死後に異なったところにおもむく。
悪人は地獄におもむき、善人は天上に産まれる。」

七. ついで、他の神は、尊師に向かって次のように言った。___
「尊師さま、みごとにとなえられたのは、だれの詩でしょうか?」
尊師いわく___
「そなたたちのどの詩も、すべて、順次にみごとにとなえられた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。

落穂を拾って修行している人でも、妻を養っている人でも、乏しき中からわかち与える人は、法を実践することになるであろう。
千を供儀をなす人々の百千の供儀も、そのような行いをなす人の(功徳の)百分の一にも値しない。

八. そこで、他の神は尊師に対して、次の詩をとなえた。___
「これらの供養をなす人々の、大がかりな豊かな祭祀は、どうして、正しくなされた施与の百分の一にも値しないのですか?
千の供儀をなす人々の百千の供儀も、そのような施与をなす人の(功徳の)百分の一にも値しないのはなぜですか?」

九. そこで尊師は、その神に向かって次の詩をとなえた。___
「或る人々は悪い行いになずんで、ものを与える。___生きものを傷つけ、殺し、また苦しめなやまして。
そのような施与は、涙にくれ、暴力をともない、正しい施与には値しない。
同様に、千の供儀をなす人々の千の供儀も、そのような施与をなす人の(功徳の)百分の一にも値しない」と。





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